「敬虔をもたらす御力」 Ⅱペテロ1章3~11節

 「敬虔」は、宗教者に実る品性で、「親や神々に対する忠誠心、崇敬心、孝心を意味する」そうです。信仰者でなければ持ちえない尊いものです。敬虔な若い人には、未だ会ったことはありません。「信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を」(5.6)とありますから、長い人生が必要なのでしょう。「だれもが認めるように、この敬虔の奥義は偉大です。」(Ⅰテモテ3・16)。

私の願いは、敬虔な人になることです。なろうと思っても、敬虔になるということは、できるものではありません。残念ながら、敬虔などなんとも思わずに、好き勝手に生きる人々も多くおります。牧師を長くして、信仰に入りようもない悪にはまる人々がいることを悟りました。「悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。」(ヨハネ3・20)とイエス様が言われたとおりです。そのような悪人や俗悪な人にも伝道し、愛を伝えようとするのが救われた人の信条です。

クリスチャンに対して悪の限りを尽くしたパウロが大使徒になったことを思いながら伝道するのですが、殆ど裏切られ、報われることはあまりありません。それを怒ったり、不満を言ったりせずに、神を伝えることに奉仕する、それが敬虔を造り出すのではないかと考えています。損得を考える人が敬虔になることはないでしょう。犠牲を苦にしないで神に仕え、人を愛することが敬虔の必要条件ではないでしょうか。 

 ローマ軍の百人隊長であるコルネリウスは、「敬虔な人で、家族全員ともに神を畏れ、民に多くの施しをし、いつも神に祈りを献げていた。」(使徒10・2)とあり、神に目を留められたのです。

① 神を畏れる。

 神が人の心の奥底まで探られ、「隠れたところで見ておられる」(マタイ6・4)ことに気が付いていないと、平気でごまかし、信仰も偽善者になります。究極的には、この神認識が敬虔であるか否かを左右するのではないでしょうか。

② 民に多くの施しをする。

クリスチャンは、神が自分を守り、助け、必要なものを与えてくださっていることを信じて生きるものです。神は、「羊飼いが羊をやぎからより分けるように」(マタイ25・32)、真実な信仰者を偽りの信仰者からより分けます。損得で生きる人を信仰者と見なすことはできません。むろん、献金のできない人は、信仰者ではありません。

③ いつも神に祈りを献げている。

敬虔とは自らの弱さ・愚かさを認めている人にのみ実る品性です。自分の為すことが正しいと思えず、常に神に導きを仰ぎ願う者なのです。

敬虔な人には、どのようなことが起こるでしょうか。

① 神に受け容れられます。(使徒10・35)

② 神が守ります。

「主は敬虔な者達の足を守られます。しかし、悪者どもは闇の中に滅び失せます。人は、自分の能力によっては勝てないからです。」(Ⅰサム2・9)。不信仰な者は、自分の能力によって生き抜こう、勝ち抜こうと排他的になります。敬虔な人の望みは、神の前にへりくだって生きることであり、成否を神に委ねます。神は、その人を祝し、守るのです。

③ 大きな利益を得ます。

「満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。」(Ⅰテモテ6・6)。「大きな利益」とは、この後に「金銭を愛することをあらゆる悪の根だからです。」(10)と書いてあるので、金銭的なものではありません。また、「敬虔を利得の手段だと考える者たち」(5)が敬虔らしさを装うことがあります。言葉や態度は敬虔らしくても、他の人に対して何の犠牲的な行動を起こしていない人々です。私たちは、山羊のような信者に気を付けなければなりません。「満ち足りる心を伴う敬虔」とは、報われないことを気にしないで人のため、神のために尽くすことです。

④ 今のいのちと来るべきいのちを約束する。

「肉体の鍛錬も少しは有益ですが、今のいのちと来たるべきいのちを約束する敬虔は、すべてに有益です。」(Ⅰテモテ4・8)。敬虔の鍛錬とはどのようなものでしょうか。試練ばかり続き、思い通りに行かず、批判攻撃され、更に健康も概してしまう、それでも神を信じ、人に優しく労り助け、弱い者や病める者を支えて励まし、毎日を感謝と喜びの中に過ごす、そのような生き方だと思います。私は、そのような日々を過ごしたい。そして、いつか神に目を留められたら、感謝なことです。それを願うのは、私がイエス様の十字架の犠牲によって救われたからです。

Ⅱペテロ1章3~11節

  • 1:3 私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました。
  • 1:4 その栄光と栄誉を通して、尊く大いなる約束が私たちに与えられています。それは、その約束によってあなたがたが、欲望がもたらすこの世の腐敗を免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。
  • 1:5 だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、
  • 1:6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、
  • 1:7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
  • 1:8 これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、私たちの主イエス・キリストを知る点で、あなたがたが役に立たない者とか実を結ばない者になることはありません。
  • 1:9 これらを備えていない人は盲目です。自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまって、近視眼的になっているのです。
  • 1:10 ですから、兄弟たち。自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。これらのことを行っているなら、決してつまずくことはありません。
  • 1:11 このようにして、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを、豊かに与えられるのです。

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MYoshi
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