「東方の博士達の後先。」 マタイ福音書2章1~12節 

「東の方から博士たち」(1)はマギと呼ばれました。メディアの王族でしたが、ペルシャ帝国の中で祭司の種族となり、占星術、自然科学、薬学、哲学に秀でて祭事を司っていました。星の運行は一定していたのですが、時折、配置が変わったり、彗星が現れたりして、何か特別なことが起こる印として理解されていました。

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」(2)とあります。タキトゥス(1世紀)やヨセフス「ユダヤ古代史」(1世紀)によると、ユダヤから出た支配者が世界を支配する帝国を築くという伝説があったそうです。

 預言としては、「女の子孫」がサタンに対して、「彼はお前の頭を打ち、お前は彼のかかとを打つ。」(創世記3・15)、アブラハム契約「あなたの子孫は敵の門を勝ち取る。あなたの子孫によって、地の全ての国々は祝福を受けるようになる。」(同22・17.18)、ダビデ契約「あなたの息子の中から、あなたの後に世継の子を起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしのために一つの家を建て、わたしは彼の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」Ⅰ歴代誌17・11-13)と続きます。

 メシア預言については、「見よ、処女が身ごもっている。そして、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ7・14)、受難のしもべ「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。…彼は私たちの背きの為に刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。…しゅは私たち全ての咎を彼に負わせた。」(同53・4-6)。

 博士たちが旧約聖書を詳しく分析していたので、これらの預言にも精通していたと思われます。3人とは書かれていませんが、「黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」とあるので、一人ずつとして3人と類推されたのです。

「黄金」は、王に献げるもので、聖なるものとして神殿の内側を覆っていました。「乳香」は、神に献げられ、神殿での礼拝に用いられていた聖なる香で、不調を回復させ、身体を健康に強く保つ力があり、不安や緊張、強迫観念を取り除き、美しさと健康を保つ効果もあるそうです。「没薬」は、防腐作用が強く、古代エジプトではミイラを作る時に使用され、イエス・キリストも十字架の後ミルラとアロエを含ませた布で巻かれ葬られたとも言われています。

「没薬」は、死の象徴で防腐作用が強く、古代エジプトではミイラを作る時に使用され、イエス・キリストも十字架の後に没薬とアロエを含ませた布で巻かれ葬られたとも言われています。

これらの宝物を用意して、長旅を多くの従者を連れて来ることは大変な犠牲を払うことです。準備と旅には数か月かかると思われます。「私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」(2)

私が想像する博士たちの特徴は以下のとおりです。

① 神を信じ、世を平和にする王を強く待ち望んでいた。

② その方を礼拝するために、どんな犠牲をも払う覚悟でいた。

③ 信念と信仰を貫くために、危険をも覚悟し、冒険の旅に出た。

④ 質素な幼子と家族を礼拝するほど謙遜だった。

⑤ 特別に選び持参した宝物を幼子に献げる価値観を持っていた。

⑥ 礼拝して直ぐに帰る潔さを持っていた。

⑦ 夢やお告げ、祈りに導かれる霊的感性を持っていた。

人がどのような人生を歩むか、信仰者として成長・成熟するか、どのような成果を上げるか、その人独自のものです。教えても、訓練しても、どうしようもないことを悟ってきました。

人それぞれに対して誘惑があり、罠があり、弱さがありますが、それにどのように対処するかで、人生が変わってきます。意地を張ったり、見栄で生きたり、言い訳を繰り返したり、罪を犯しても隠して過ごしたり、年月の中で明らかになってしまいます。神は沈黙していますが、既に生きているうちに、その所業は明らかになるようです。

人生は旅のようなものです。星を目指して一心に歩んでいくことを嬉しく思う人もいれば、外に出ることや歩くことをやめて家に籠っている人もいます。

信仰生活は旅のようなものです。信仰をもって歩まなければ、神の守りも祝福も体験できません。博士たちは、真の王、救い主が生まれることを知り、行く先も伝手も持たずに捧げ物をもって旅立ちました。「信仰は望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(へブル11・1)。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを信じなければならないのです。」(同11・6)

マタイ福音書2章1~12節 

  • 2:1 イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
  • 2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
  • 2:3 これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。
  • 2:4 王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
  • 2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。
  • 2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」
  • 2:7 そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。
  • 2:8 そして、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」と言って、彼らをベツレヘムに送り出した。
  • 2:9 博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。
  • 2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
  • 2:11 それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた
  • 2:12 彼らは夢で、ヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。

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MYoshi
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