「事業の後先。」 伝道者の書2章4~12節 今週のメッセージ
伝道者(コヘレト)の書は、人生の虚しさや知恵や努力も大して役に立たないなどのことを述べており、神を信じない壮年たちに共感を与え、厭世的な内容は、神を純粋に信じる人々からは嫌われています。
ソロモンは、若い時に愛の歌として「雅歌」を書き、壮年期に知恵の言葉をまとめた「箴言」を書き、老年になって「伝道者の書」を描いています。王としての名声、事業を成し遂げたけれども、信頼できる人々や家族がいない男としての虚しさがあります。
8節までは、「事業を拡張し、邸宅を建て、ぶどう畑を設け、庭と園を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植えた。」などと、多様多才な事業の成功を遂げたことを記しています。そして、快楽を手に入れたことも自慢しています。そして、「私は偉大な者となった。」(9)と誇っています。更に、その知恵深さは比類がないものとなっています。「心の赴くままに、あらゆることを楽しんだ。」(10)と高慢の極みに達しています。
多くの人々がこのような生活と豊かさを願い、努力しています。しばらく前からお話ししている旧約の祝福の命題「生めよ、増えよ。地を従えよ。」(創世記1・28)の実現の姿です。
しかし、ソロモンは「私は自分が手がけたあらゆる事業と、そのために骨折った労苦を振り返った。見よ。すべては空しく、風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。」(2・21)と虚しさを嘆いています。その理由はなぜでしょうか。
① 自分の事業の喜びを分け合う者がいない。
「どんなに人が知恵と知識と才能をもって労苦しても、何の労苦もしなかった者に、自分が受けた分を譲らなければならないからだ。」(2・21)。彼は、「罪人には、神が良しとする人に渡すために、集めて蓄える仕事を与えられるからだ。」と語りながらも、21節と同じように、「これもまた虚しく、風を追うようなものだ。」(26)と嘆いています。事業の成功などはどうでも良いと嘆くのです。
② 永遠も神の国も信じていない。
「私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか、何も良いことがないのを。」(3・12)。自尊心の強い彼は、神だけがご存知で、支配されていることが嫌なのです。自分が死んでも時が流れ、社会が営まれていくことが嫌なのです(3,4章)。
③ 神だけが主権を持つことが嫌なのです。
「神の前では、軽々しく心焦ってことばを出すな。」(5・2)。 「愚かな者は喜ばれない。誓ったことを果たせ。」(5・4)。「神が、あなたの言うことを聞いて怒り、あなたの手の業を滅ぼしても良いだろうか。」(5・6)。これらの言葉は、神を無慈悲な神と考えているからです。
④ 知恵と能力の使い方に飽き、人の狡さに絶望している。
「知恵のある者は、愚かな者より何が優っているだろう。」(6・8)。「あなたは正し過ぎてはならない。自分を知恵のあり過ぎる者としてはならない。なぜ、あなたは自分を滅ぼそうとするのか。」(7.16)
⑤ 享楽主義を讃美する。
「だから私は快楽を讃美する。日の下では、食べて飲んで楽しむよりほかに、人にとっての幸いはない。」(8・15)。「同じ結末が、正しい人にも、悪しき者にも、善人にも、きよい人にも、汚れた人にも、いけにえを献げる人にも、いけにえを献げない人にも来る。善人にも、罪人にも同様で、誓う者にも、誓うのを恐れる者にも同様だ。」(9・2)。
聖句を赤字で書かなかったのは、神を知っているけれども信じ信頼していないことばとしての真実だからです。ソロモンは、知恵に満ち、神を畏れ、賢明な言葉と指示をする名君でした。しかし、エジプトのファラオの娘を妻とし、シェバの女王にも愛され、多くの異国人の女を愛したのです。「この女たちは、主がかつてイスラエル人に、『あなたがたは彼らの中に入ってはならない。彼らをあなたがたの中に入れてもいけない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる』と言われた、その国々の者であった。しかし、ソロモンは彼女たちを愛して離れなかった。」(Ⅰ列王11・2)となり、「ソロモンは、主の目に悪であることを行い、父ダビデのようには主に従い通さなかった。」(同6)という結果が伝道者の書のことばなのです。
罪を犯すと神を信じることはできません。自分の罪を隠していると、神の赦しも神の国や永遠のいのちも信じられないものです。世の中の殆どの人々は、だから神を信じることができません。悔い改めた者だけが神を信じることができるのです。
私たち夫婦は、神の祝福によって事業に成功しました。しかし、それは子どもたちにも、自分たちの平安にも良くないことを自覚して、その殆どを会堂建築の為に献げることにしました。事業の成功によって高慢になり、神を信じられなくなっている人々を多く見ているからです。
伝道者の書2章4~12節
- 2:4 私は自分の事業を拡張し、自分のために邸宅を建て、いくつものぶどう畑を設け、
- 2:5 いくつもの庭と園を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植えた。
- 2:6 木の茂った森を潤すためにいくつもの池も造った。
- 2:7 私は男女の奴隷を得、家で生まれた奴隷も何人もいた。私は、私より前にエルサレムにいただれよりも、多くの牛や羊を所有していた。
- 2:8 私はまた、自分のために銀や金、それに王たちの宝や諸州の宝も集めた。男女の歌い手を得、人の子らの快楽である、多くの側女を手に入れた。
- 2:9 こうして私は偉大な者となった。私より前にエルサレムにいただれよりも。しかも、私の知恵は私のうちにとどまった。
- 2:10 自分の目の欲するものは何も拒まず、心の赴くままに、あらゆることを楽しんだ。実に私の心はどんな労苦も楽しんだ。これが、あらゆる労苦から受ける私の分であった。
- 2:11 しかし、私は自分が手がけたあらゆる事業と、そのために骨折った労苦を振り返った。見よ。すべては空しく、風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。
- 2:12 私は振り返って、知恵と狂気と愚かさを見た。そもそも、王の跡を継ぐ者も、すでになされたことをするにすぎない。
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