「誕生の後先。」 Ⅰサムエル1章10~18節

士師時代末期、エフライムの山地にレビ人エルカナがいました。妻はハンナですが、子どもができないので、もう一人ペニンナという妻を娶りました。ペニンナは、ハンナを侮辱し虐めていたので、ハンナは苦しい日々を過ごしていました。

 当時はエルサレムという町も神殿もなく、べテルの近くのシロという町に会見の天幕が置かれ、神殿が築かれていました。ハンナはその神殿の前で「激しく泣いて、主に祈った。」(10)。あまりに長く、また「唇だけが動いて声が聞こえなかった」(13)ので、祭司エリは「彼女が酔っているのだと思った。」ほどでした。「私は、主の前に心を注ぎ出していたのです。」(15)。とハンナが答えます。エリが「神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」(17)というと、「その顔は、もはや以前のようではなかった。」(18)

 神の前に祈り泣かないと、心は解決しません。つい愚痴を言ってしまったり、弱音を吐いたり、人によっては怒ったり、苛立ったりしてしまいます。私自身、解決は長く神に祈った後でした。最近は、祈り泣きは無くなってきましたが、それでも執り成しをしながら涙が出ることはあり、讃美では涙が滲みます。

 人と話すのは、神と十分話し、祈った後が良いです。軽率に話す人が多いような気がします。人が苦しんでいたり、困っていたりするのを見ながら、冗談を言っている人は、軽薄な人です。自分が苦しんだ時に、それを軽く受け流しているからでしょう。信仰は、真摯でなければなりません。神に対して失礼です。

 ハンナは身ごもり、サムエルを産みます。「サムエルは、一生の間、イスラエルを裁いた。」(Ⅰサム7・15)。そして、イスラエル最後の裁きつかさとして、サウル王(10・1)やダビデ王(16・13)に油を注ぎました。

 人は、なぜ、サウル王を選ばずに、最初にダビデ王を選ばなかったのかと問います。しかし、サウル王の初代王としての失敗や権力欲をダビデが良く見て悟り、自らがサウル王から命を狙われ続ける中で、神への真摯な信仰と従順が形成されたのです。

 サムエルの人格は、母ハンナの忍耐と愛情、そして信仰から形成されました。2章にあるハンナの讃美は、イエス様の母マリヤの賛歌に似ています。「おごり高ぶって、多くのことを語ってはなりません。横柄なことばを口にしてはなりません。まことに、主は全てを知る神、その御業は測りしれません。」(2・3)。ペニンナがおごり高ぶり、横柄なことばを口にしたのでしょう。それに耐えて、ハンナは「主は全てを知る神」と賛美したのです。「主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くします。」(2・7)。誠実な信仰者は、このような思いでなければなりません。それをハンナは、乳飲み子に語り、愛し、育てたのです。

 「サムエルは、亜麻布のエポデを身にまとった幼い僕として、主の前に仕えていた。彼の母は、彼のために小さな上着を作り、毎年、夫とともに年毎のいけにえを献げに上っていく時、それを持っていった。」(2・18.19)。涙の出るような光景です。人は、苦難を逃げたり避けたりしたら、人格は形成されません。耐えることによってしか、人格は形成されません。裁きつかさサムエルは、このようにして「主にも人にも慈しまれ、ますます成長した。」(2・26)。

 それに対して、その師エリは、「わたしは、彼の家を永遠にさばくと彼に告げる。それは息子たちが自らに呪いを招くようなことをしているのを知りながら、思いとどまらせなかった咎のためだ。」(3・13)と裁きを預言されます。自分の愚かさや罪をきちんと悔い改めず、いつしか忘れられ、水に流されると考えている人がいます。安易に愛情のない家庭に育てられたのでしょうか。自分の過ち、行動をしっかりと反芻し、悔い改められる人は幸いです。誤魔化せると考えて、うやむやにしている人は、神の国に迎えられることはありません。

エリは、サムエルへの神の警告を聞いて、「主が御目にかなうことをなさるように。」(3・18)と認めても行いを改めませんでした。エリは息子二人が死に、神の箱が奪われたのを聞いた時、「あおむけに倒れ、首を折って死んだ。年寄りで、身体が重かったからである。」(4・18)。息子たちが焼く、禁じられている脂肪付の肉を食べ続けたので、大肥満になってしまったのです。愚かな食生活を送る人は、やはり健康を害します。そして、その食生活をやめられなくなってしまうのです。

 エリは、息子たちに忠告します。「人が人に対して罪を犯すなら、神がその仲裁をしてくださる。だが、主に対して人が罪を犯すなら、誰がその人のために仲裁に立つだろうか。」(2・25)。息子の誘惑に負けて、霜降り肉を食べている人の忠告が通るはずがありません。軽率な判断は、必ず悔い改めなければなりません。罪責は悔い改めなければ赦されません。悔い改めとは、変わる、ということです。

Ⅰサムエル1章10~18節

  • 1:10 ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、【主】に祈った。
  • 1:11 そして誓願を立てて言った。「万軍の【主】よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、【主】にお渡しします。そしてその子の頭にかみそりを当てません。」
  • 1:12 ハンナが【主】の前で長く祈っている間、エリは彼女の口もとをじっと見ていた。
  • 1:13 ハンナは心で祈っていたので、唇だけが動いて、声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのだと思った。
  • 1:14 エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」
  • 1:15 ハンナは答えた。「いいえ、祭司様。私は心に悩みのある女です。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は【主】の前に心を注ぎ出していたのです。
  • 1:16 このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私は募る憂いと苛立ちのために、今まで祈っていたのです。」
  • 1:17 エリは答えた。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」
  • 1:18 彼女は、「はしためが、あなたのご好意を受けられますように」と言った。それから彼女は帰って食事をした。その顔は、もはや以前のようではなかった。

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MYoshi
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