「迫害と試練が人を選別する。」 使徒8章1~8節
嫌なことや不運は、続くことが多いですね。自分の思い通りにいかないと泣き叫ぶ子供を親がご機嫌をとってあやすのを見ますが、子供を不幸にする教育です。大人でも、待つことができない人、怒り易い人、我慢のできない人、他人に要求を繰り返す人、丁寧な物言いのできないひとがいます。兵庫県知事は、自分の理不尽な要求の犠牲になって自殺までした人がいても、自分の責任を認めないようです。神の裁きの前には立ちおおせないですね。
大災害が頻発する予想が出ています。そういう困難な時に、自分勝手な人や、自助努力のできない人は孤立して、崩壊していきます。終末というのは、人が言い逃れのできない状況に立たされるということです。実際には、終末でなくても、神の裁きの前には、どのような言い逃れもできないのですが、神を畏れない人は、自分の都合の良いように物事を考えるのです。終末の困難の中における人々の思惑と行動の中に、神は人の罪のおぞましさを垣間見させるのです。
それでは、病気の人や障害を抱えている人は、どうすれば良いのでしょうか。信仰者にしか言えませんが、神の国を待ち臨み、天を見上げて主に委ねるのが極意です。死んだら天国を確信しているならば、死のうと生きようと問題ではありません。「生きることはキリスト、死ぬことは益です。」(ピリピ1・21)。
問題なのは、中途半端な信仰の人々です。イエス様が警告される愚かな乙女たちは、花婿が来るのは知っていましたが、十分な油を用意していませんでした。賢い乙女たちは花婿と共に「婚礼の祝宴に入り、戸が閉じられた。」(マタイ25・10)。愚かな乙女たちは、神の国に入れなかったのです。
「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。」(1)。ステパノが石打で殺されたその日直ぐに教会に対する迫害が起こり、信者はとてもエルサレムにいられなくなりました。ステパノの遺体を葬った人たちは、非常に勇気と気骨のある信仰者でしょう。とりわけ、「サウロは家から家に押し入って、教会を荒らし、男も女も引きずり出して、牢に入れた。」)3)。サウロは、律法の教えに背く者は、殺しても良いと考える熱心かつ乱暴な人でした。
近年のキリスト教迫害は、ソ連や中国において恐るべきものでした。ソ連では聖職者や信者が数十万人も殺されました。実は、19世紀からのロシア正教は、風紀が乱れ、宗教的にも崩壊していました。ところが、徹底的な政府による宗教迫害の中で、信者も聖職者も真摯な信仰を持った人々が国外に逃れて信仰を強くし、国内の信者を支援しました。ソ連崩壊後のクリスチャンは60%以上です。
中国におけるクリスチャンは1億人以上いると言われていますが、共産主義の体制における宗教迫害は凄まじいものです。これは、現在進行形なので、あまり詳しくは記せません。
宗教迫害は、歴史上、いつもあります。日本でもキリシタン迫害は凄まじいものでした。踏み絵などによる宗教者探索が執拗に重ねられ、見つかり次第殺されました。徳川時代を経て、隠れキリシタンが数多くいたことは驚くべきことです。
「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。」(4)。信仰者は、迫害や困難に動じないものです。家族や知り合いの反対があろうと、却って熱心に福音を伝えるのが信仰というものです。伝道をしない信仰者は、岩地のような堅い心です。「岩地に撒かれたものとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし自分の中に根がなく、・・・みことばのために困難や迫害が起こると、すぐに躓いてしまいます。」(マタイ13・20.21)。
迫害によって、却って福音はエルサレムの外にも広まりました。「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1・8)というイエス様の言葉が実現していくのです。全世界に福音が伝わり、そして終末が来るのです。
使徒8章1~8節
- 8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。
- 8:2 敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のためにたいへん悲しんだ。
- 8:3 サウロは家から家に押し入って、教会を荒らし、男も女も引きずり出して、牢に入れた。
- 8:4 散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。
- 8:5 ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。
- 8:6 群衆はピリポの話を聞き、彼が行っていたしるしを見て、彼が語ることに、そろって関心を抱くようになった。
- 8:7 汚れた霊につかれた多くの人たちから、その霊が大声で叫びながら出て行き、中風の人や足の不自由な人が数多く癒やされたからである。
- 8:8 その町には、大きな喜びがあった。
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