「荒野の40年の間に。」 使徒の働き7章36~43節
先週お話しした40年間は、モーセが指導者として立ち上がる前の年月でした。今日の40年間は、指導者としての苦難の歳月です。
モーセが導いたのは、「誰があなたを支配者や裁判官にしたのか」(7・35)と言ってモーセを拒んだ人々でした。奇跡や印を見て神に従ってエジプトから出た人々は、神を信じる生活を知らず、信仰の実りも見せていない粗野な奴隷生活から抜け出たばかりの人々でした。
キリスト教が定着しないと言われていた千葉で信者ゼロからの開拓伝道で苦労したのは、見本となる信仰者がいないことでした。社会的には能力のある人は、信仰よりも効率や社会性を重視して、或いは信仰による品性が育たず、教会から離れて行きました。今でも、多くのクリスチャン成り立ての人は、エジプトから出てきたばかりの荒野の生活のように信仰生活というものがわからず生きているものです。
この38節の「(荒野の)集会」はKing Jamez訳やA.S.Vでは”the church“、New KJ訳とN.I.Vでは” the congregation”、T.E.Vでは”assembled”となっており、”the Assemblies of God”の由来となっています。その集会で、「生きたみことばを授かりました」が、彼らは「彼に従うことを好まず、却って彼を退け、エジプトを懐かしく思って」いたのです。
「神を信じて生きる」ということは、他のものに頼らない、ということです。「何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。」(マタイ6・25)とあるように、「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(同33)ということを信じ実践することなのです。
荒野では、40年間毎朝マナが降り、毎夕うずらが飛んできました。その服も靴も擦り切れなかったのです。しかし、彼らは神に委ねて生きることが嫌だったのです。それが、自己中心、罪というものです。
神に養われ見守られた中でも、民はいつも争い不正や犯罪を犯していました。「あなたは掟と教えをもって彼らを警告し、彼らの歩むべき道と、為すべき業を知らせなさい。あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人たち、不正の利を憎む誠実な人を見つけ、・・・長として民の上に立てなさい。」(出エ18・20.21.)と教えられました。
オリンピックで審判のミスや選手の不正が盛んに非難されています。勝負の中にその人の人格が現れてしまいます。誤魔化せない喜怒哀楽が現れるのを興味深く見ています。勝利の欲望や党派心は人間の罪と結びついています。偉人や哲人は勝敗を超越したもののような気がします。「あなたがたは、自分が裁く、その裁きで裁かれ」(マタイ7・2)とイエス様が言われます。「わたしを信じるこの小さな者達の一人をつまずかせる者は、むしろ大きな石臼を首に結びつけられて、海に投げ込まれてしまうほうが良いのです。」(マルコ9・42)。人の悪口や批判をして、その人を悲しませることを何とも思わない人は、救いようがないと言われるのです。メジャーの野球が楽しいのは、実力主義は凄いですが、スランプも敗北も家族の病気で休むことも当然なこととして受け入れていることだと思います。
荒野の40年は、モーセが指導者としての教育を受ける時でした。水がないので、人々はモーセに逆らいました。モーセも度重なる不満に苛立ち、主に「岩に命じれば、岩は水を出す。」(民数20・8)と告げられたのに、「モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、豊かな水が湧き出た」(11)。怒りに任せて神に従順であるよりも、自らの権威を示そうとしたモーセは神の怒りを受け、「あなたがた(モーセとアロン)はわたしを信頼せず、イスラエルの子らの見ている前でわたしが聖であることを現わさなかった。それゆえ、あなたがたはこの集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」と罰を受けてしまったのでした。
指導者もしばしば言い訳をします。そして、自分勝手なことをします。しかし、神は自分勝手な行動をしたことを見逃すことはありません。世の中の人々は平気で人の批判や非難をし、自分の言動については正当化をします。信者でもそういう人は多いのですが、地上の人生の祝福は、「神を信頼し、神が聖であることを覚え、その神に従って生きること」によるのです。自分の罪を正当化する人を神は見放していきます。
罪を犯さない人はいません。それを意識して、行動を縮小させ、何もしないようになることを神は認めません。悔い改めというのは、自分がどうしようもない罪人であることを認め、イエスキリストの十字架の死の身代わりがなければ、赦されえない存在であることを自覚することです。従って、人の罪や咎、ミス、そして弱さを指摘する人は、十字架の死の恩恵を受けることはできないのです。悔い改めた人は、人を避難したり、攻撃したりしないものです。指導者はなおのことです。
使徒の働き7章36~43節
- 7:36 この人が人々を導き出し、エジプトの地で、紅海で、また四十年の間荒野で、不思議としるしを行いました。
- 7:37 このモーセが、イスラエルの子らにこう言ったのです。『神は、あなたがたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたがたのために起こされる。』
- 7:38 また、モーセは、シナイ山で彼に語った御使いや私たちの先祖たちとともに、荒野の集会にいて、私たちに与えるための生きたみことばを授かりました。
- 7:39 ところが私たちの先祖たちは、彼に従うことを好まず、かえって彼を退け、エジプトをなつかしく思って、
- 7:40 アロンに言いました。『われわれに先立って行く神々を、われわれのために造ってほしい。われわれをエジプトの地から導き出した、あのモーセがどうなったのか、分からないから。』
- 7:41 彼らが子牛を造ったのはそのころで、彼らはこの偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造った物を楽しんでいました。
- 7:42 そこで、神は彼らに背を向け、彼らが天の万象に仕えるに任せられました。預言者たちの書に書いてあるとおりです。『イスラエルの家よ。あなたがたは荒野にいた四十年の間に、いけにえとささげ物を、わたしのところに携えて来たことがあったか。
- 7:43 あなたがたは、モレクの幕屋と神ライパンの星を担いでいた。それらは、あなたがたが拝むために造った像ではないか。わたしはあなたがたを、バビロンのかなたへ捕らえ移す。』
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