「あなたは主に祝福されています。」 創世記26章24~31節

イサクがリベカと結婚したのは「四十歳であった。」(25・20)。妻リベカがなかなか子どもを産まないので、「自分の妻のために主に祈った。・・主は彼の祈りを聞き入れ、妻リベカは身ごもった。」(21)。イサクは、決して他に妻を持とうとはせず、生涯リベカだけを愛しました。

ところが、イサクも父アブラハムと同じ失敗をしました。同じようにゲラルに寄留していた時、土地の荒くれ者に殺されることを恐れ、リベカのことを「あれは私の妹です。」(26・7)と言ってしまうのです。恥ずかしい思い出ですから、アブラハムもサラもイサクには伝えていなかったでしょう。ところがアビメレクの方は、国の存亡に関わる大事件がその父アブラハムの時に起こったことが記録され警告されているので、慌てて「この人と、この人の妻に触れる者は、必ず殺される。」(11)と厳しい命令を民に出します。

「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を得た。主は彼を祝福された。こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。彼が羊の群れや牛の群れ、それに多くのしもべを持つようになったので、ペリシテ人は彼をねたんだ。」(26・12-14)。ここで初めて耕作をしたことが記されています。その地に根付き、繁栄する為には土地を持ち、耕作することが必要です。また、牧畜でも反映しました。しかし、それによってその地域の人々から妬まれ始めました。そして、アブラハムの掘った井戸を埋め、アビメレク王は、その地から出て行くようにイサクに脅しました。

イサクは、場所の良くないゲラルの谷間に行きますが、そこでも湧き水の井戸を見つけます。ところが、ゲラルの羊飼いが奪い取ります。イサクは、その井戸をエセク(争う)と名付け離れます。他の井戸を掘り当てても、彼らが奪い取ります。今度はシテナ(敵意)と名付けて離れます。イサクは、敢えて、そこで何が起こったかを記録する地名を付けたのです。

イサクは郎党を連れて、さらに奥地へ移動し、そして井戸を掘りあてます。イサクは言います。「今や、主は私たちに広い所を与えて、この地で私たちが増えるようにしてくださった。」(22)。そこは、今までは荒れ地であり、羊飼いも近寄らなかった地でしたが、イサクが住むことによって芳醇な土地に変わっていくのです。イサクは決して争わず、敵意も見せず、ただ祝福だけが彼を追って来るのです。「忠実な人は多くの祝福を得る。しかし、富を得ようと急ぐ者は罰を免れない。」(箴言28・20)

そのようなイサクの祝福され、繁栄された様子を知ったアビメレク王は、過去のアブラハムの時に告げられた神からの脅し「妻を返さなければ、あなたもあなたに属する全ての者も、必ず死ぬことを承知していなさい。」(20・7)という記録を確認して、「私たちは、主があなたとともにおられることを確かに確認しました。」(28)として盟約を結ぶことを申し出ます。自分たちは「平和のうちにあなたを送り出し」(29)ていないのにも関わらず、「あなたも私たちに害を加えないという盟約です。あなたは今、主に祝福されています。」として、イサクを迫害したことによって神から罰が来ることを恐れたのです。

「人を富ませるのは主の祝福。人の苦労は何も増し加えない。」(箴言10・22)。現代社会は功利主義から変わろうとしています。功利主義は「最大多数の最大幸福」という基準でしたが、それは災害や病気、そして人そのものの罪性によって無理であることがわかってきました。人口が増えなければ経済が成り立たないことが唱えられると共に、逆に人口論、つまり人が増えるから限界が大きくなるという考え方です。実際、各国の政策はコロナ以後、高齢者や弱者は死ぬに任せるというものになっています。神を信じない人々の政策が、人々や国を滅ぼそうとしているのです。

「だれが聖なる御前に立てるのか。手がきよく心の澄んだ人そのたましいをむなしいものに向けず偽りの誓いをしない人。その人は主から祝福を受け自分の救いの神から義を受ける。これこそヤコブの一族。神を求める者たちあなたの御顔を慕い求める人々である。」(詩篇24・3-6)

神を信じない人々が、知恵を尽くして国と社会と会社と組織を成功・反映させようと目論んでいます。そして、それによって自らの繁栄を図っています。しかし、例えばオリンピックで権勢を誇った人々が、犯罪者として逮捕されています。政財界で活躍したと自負している人たちは死後の裁きを全く信じていないでしょう。

ネットで検索すると、柏崎良子に関わった記事が128千件、動画が15800件、そしてウィキペディアにもあり、「日本の女性医師」13名の中に含まれていました。確かにいろいろな面で主に祝福されていると思います。ともかく、神の聖なる御前に立てる人でありたいものです。祝福は求めるものではなく、それに値する人に注がれるものです。

創世記26章24~31節

  • 26:24 【主】はその夜、彼に現れて言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」
  • 26:25 イサクはそこに祭壇を築き、【主】の御名を呼び求めた。彼はそこに天幕を張り、イサクのしもべたちは、そこに井戸を掘った。
  • 26:26 さて、アビメレクがゲラルからイサクのところにやって来た。友人のアフザテと、その軍の長ピコルも一緒であった。
  • 26:27 イサクは彼らに言った。「なぜ、あなたがたは私のところに来たのですか。私を憎んで、自分たちのところから私を追い出したのに。」
  • 26:28 彼らは言った。「私たちは、【主】があなたとともにおられることを確かに見ました。ですから、こう言います。どうか私たちの間で、私たちとあなたとの間で、誓いを立ててください。あなたと盟約を結びたいのです。
  • 26:29 私たちがあなたに手出しをせず、ただ良いことだけをして、平和のうちにあなたを送り出したように、あなたも私たちに害を加えないという盟約です。あなたは今、【主】に祝福されています。」
  • 26:30 そこでイサクは彼らのために宴会を催し、食べたり飲んだりした。
  • 26:31 翌朝早く、両者は互いに誓いを交わした。イサクは彼らを送り出し、彼らは平和のうちに彼のところから去って行った。