「信仰によって生きる。」 へブル書10章36~11章3節
「義人は信仰によって生きる。」(10・38)。このへブル書の聖句は、信仰によって生き抜く人を義人という、と教えます。その逆が、「恐れ退く」ことであって、それは「滅びる者」となってしまうからです。
日々の歩みは、信仰者でなくても、信じることが必要です。しかし、その信じる基になっているものが不安定です。多くの場合に「努力」、「能力」、「経済力」、「健康体力」です。それらは、自分の側にあり、間違いないと自己中心の罪は思い込ませるのですが、そうすると他の人とのつながりや組織よりも自分だけの意識に向けさせて孤立していきます。最近の殺傷事件を起こしている人々は、そのようです。頼りにしていたものが破綻すると「滅びる者」になってしまうのです。
「信仰によって生きる。」とは、自分の都合の良い人生を信じて生きるのではありません。神にそういうことを期待して信仰を持っていると考える人は、やはりうまくいかないと破綻します。
「信じていのちを保つ者です。」(39)とは、うまく行こうが行くまいが、「神がご自身の差配と判断の中で世界を営まれており、自分は神のみ旨に従って生きる」ことを決心して神に繋がっているということによって「いのちを保つ」のです。そういう面で、何が起ころうとも、何が予想されようとも、神の人として万全に備え信じて、歩みを変えないことが肝要です。
「まことしやかな議論によって、あなたがたをあやまちに導く」(コロサイ2・4)誘惑が多く、知識や理性は、信仰を危うくします。信仰は、聖書に基づいた論理的生活を必要としますが、知性や理性はこの世の論理に基づいた生き方を要求するのです。ところが、それは自己中心な人しか達成しえない卓上の産物であり、人を批判的攻撃的にします。また、神を信じて生きるとは、自分の能力を信じることではないので、論理的生活ができなくても問題ないのです。
私たち夫婦の愛唱歌は「歌いつつ歩まん」(聖歌498)です。作詞したエリザ・ヒューイットは養護学校の教師になります。赴任した学校に、知恵遅れの男の子がいて、彼が暴れて椅子を投げてエリザの背中に当たってしまいます。彼女は脊椎を損傷し、長い闘病生活を余儀なくされました。病床に伏しながら、自分の身に起こったことを考えるにつけ、彼女の心には少年に対する怒りと憎しみの感情が膨らんでいきました。また、「なぜこんな身になってしまったのだろう。なぜ神様はこの苦しみを与えられたのだろう。」
彼女は悲しみと嘆きの涙の日々で信仰も弱っていきました。
そんなエリザの病室に毎日掃除に来る黒人のおばさんがいました。掃除をしながら、彼女はいつも感謝にあふれて讃美をし、笑顔が絶えません。しかし弱っているエリザは彼女の歌にイライラしていました。「すこし静かにしてくれない。」と思わず言ってしまいます。「ごめんなさい。でも、悲しみや嘆きを讃美に変える力を、イエス様がくださるの。」と彼女は言いました。その夜、彼女はこの黒人女性の言葉を思い返していると、涙が出てきて、自然と悔い改めのお祈りを神様にしていました。そして彼女の中からあふれてきた詩から生まれたのが「歌いつつ歩まん」です。
私の妻も鼻歌を歌い、歌詞の間違った聖歌を歌い、ピアノで讃美します。いつも喜んでおり、その笑顔は私の喜びです。不思議なことに結婚前の不幸のどん底にいた時も、妻は高らかに讃美していました。私はその讃美に惹きつけられたようです。
3年前の大腸がんの手術の時も、讃美していました。コロナ感染を恐れて診察を避けるクリニックも多い中、毎日多くの人の感染検査をしてついに感染してしまいました。子供達の感染が多くなっているので、そこからのものだと思います。
「もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」(38)。恐れず、診察を続けてきている妻は、神に喜ばれていると思います。私には、神からの勲章のような気がします。命懸けで生き、診察をしています。
神から与えられた人生、命を惜しんでも、金を惜しんでも、力や富を惜しんでも、神を裏切っているような気がします。このようにして、私たちの生涯は、これからも営まれていくのでしょう。それが、「いのちを保つ」秘訣です。
へブル書10章36~11章3節
- 10:36 あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。
- 10:37 「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。
- 10:38 わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」
- 10:39 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。
- 11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
- 11:2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。
- 11:3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
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