「岩の上に人生を築く。」マタイ7章19~29節

家を建てたり買ったりする時に地形を調べることは必須です。沼、沢、浜、津、洲、江、浦などの水に関わる地名、谷や水辺の植物の蓮、菅、などに関わる地名は要注意です。私は、古地図などを調べてから購入します。家の土台も大事で、どのような土台にするかはよく確認しなければなりません。最近は、地下に何があるかもしらべなければなりません。遺跡やトンネルがあると、穴が開いたり、土台が崩れたり、立て直しができなくなります。

コロナウイルスは多くの異なるタンパク質を使用して細胞を複製および侵入しますが、スパイクタンパクは受容体に結合するために使用する主要な表面タンパク質です。スパイクタンパクがヒト細胞受容体に結合した後、ウイルス膜はヒト細胞膜と融合し、ウイルスのゲノムがヒト細胞に入り、感染を開始できるようになります。新型コロナウイルスのmRNAワクチンは、このウイルスのスパイクタンパク質の設計図となるmRNAを人の細胞に取り込ませて、スパイクタンパク質を産生させてウイルス自体を感染させなくするというものです。

ウイルス免疫学者でカナダ・オンタリオ州ゲルフ大学のバイラム・ブライドル准教授は、「私たちは、スパイクタンパク質が優れた標的抗原であると考えていましたが、スパイクタンパク質自体が毒素であり、病原性タンパク質であるとは知らなかったのです。つまり人々にワクチンを接種することで、誤って毒素を接種してしまうことになってしまうのです」スパイクタンパク質が血液に入り、ワクチン接種後、数日間循環し、脾臓、骨髄、肝臓、副腎などの臓器や組織に蓄積することを示し、卵巣にも非常に高い濃度で蓄積されていました。それが循環に入ると、私たちの体に損傷を与える可能性があります。血液凝固や出血など、COVID-19を引き起こすウイルスである SARS-CoV-2の最も深刻な影響は、ウイルス自体のスパイクタンパク質の影響によることが多数の研究によって示されています。「科学界で発見されたのは、スパイクタンパク質自体が循環器系への損傷のほぼ完全な原因であるということです」

これが最新のワクチン情報です。これを知って、どのように行動するでしょうか。私が強調することは、安易な判断で自分の身体の一生に亘る害を受けてはならないということです。「石橋を叩いて渡る。」というように、堅固に見える石橋でも用心して渡る注意深さが大事です。子宮頸がんワクチンで車いす生活となった人を知っていますが、医学界では、その関連性は否定されています。大事なことは「婚外の性交渉はしない。」ということなのに、性交渉をしても大丈夫なようにとワクチンを勧めているのです。感覚がマヒした社会に生きているのです。

安易に家を買った人が、災害によって財産を失ったら神を呪うのでしょうか。ワクチン禍や病気に苦しむ人が人生の悲運を嘆くのでしょうか。結婚相手も安易に選んでは不幸になることは間違いないでしょう。宝くじを買う人が金持ちにならないのは、運に掛けているからです。「天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」(21)というように、神の御心を探り行うことは、安易ではなく、また決して運に掛けてはいけないものです。

「あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。」(20)。私は妻の低血糖症を直すために多くの本を書き、自らの健康を維持する為にも、知識と体験を積み、10冊以上の本を書き、多くの方の健康に寄与しています。砂地を掘るくらいの努力を努力と思ってはなりません。長柄の650坪を掘り整地しているのは80歳になっても快適に過ごす為です。既に7年間、掘り動かした土・ブロック・煉瓦・セメントは数十トンになっています。

「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。」(24)。聖書と御霊によって示される主イエスのことばを聞こうと努力し、それを行う為に犠牲と誠意を尽くす人がどれだけいることでしょうか。私が、気が付くことは、砂地を掘る努力しかしていないのに、岩地の上に信仰で人生を築き上げていると考える安易な人が多くいるということです。悔い改めに相応しい実を結ばず、人の話を聴いて信仰の道は厳しいと奥義を語っては神の怒りを買うだけなのです。

柿、梅、蜜柑、栗、柚子、ブルーベリーなどの実を採る為に努力を重ねなければならないことを教えられます。教会の為、人の魂を救いに導くため、人を愛する為、私たちの努力は人並みのものではなりません。岩の上に家を建てるとは、岩を削り、一つ一つの礎を堅くしなければなりません。絶壁や荒れ地に建てられた修道院や教会を訪れる時、精妙な造作に感動します。細部を作るのにも多くの労苦が献げられたに違いありません。厳しい自然の中に建て上げられた会堂が凛と映えるのは、神を崇める信者たちの真摯な労働があってこそのものです。

教会の働きの為に労苦を厭わない人は幸いです。人を愛する為に自らを犠牲にする人は神の報いを受けます。労苦とは、ちょっとした労働ではありません。「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者」(21)は、犠牲を払って信仰生活を送っていない人のことです。

マタイ7章19~29節

  • 7:19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
  • 7:20 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。
  • 7:21 わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。
  • 7:22 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』
  • 7:23 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
  • 7:24 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
  • 7:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
  • 7:26 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
  • 7:27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
  • 7:28 イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。
  • 7:29 というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。