「恐れてはなりません。」ヨハネ14章26~31節
今回のコロナウィルス災害では、教会員の結束と助け合いの姿に感動しています。ラインで示される励まし合いは、確かに魂が救われて艱難の中でも忍耐、品性、希望が与えられ、神の愛が心に注がれた人々であることを証明しています(ローマ5・3-5)。先週お話ししたように、「あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を」(Ⅰペテロ4・12)通して、「信仰が試される」(ヤコブ1・3)のが終末というものなのです。
「王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」(マタイ25・45.46)。魂の救いは、信仰に入るための門です。聖霊のバプテスマは、信仰をもって強く生きるための力です。そして、試練の道を辿りながら天の御国を目指して、信仰者が助け合いながら歩むのです。『天路歴程』を読んだ人ならば、その意味合いがわかるでしょう。神は、天国入国を安請け合いに保証してはおりません。「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」(マタイ10・38.39)
今後、教会員にコロナウィルスに感染する者が起こるかもしれません。そしたら助け合おうではありませんか。感染が怖くて、その人を避けるようならば、神も避けた人を避けるでしょう。私たちは、防災食品や飲料水を蓄えていますが、それを感染者や自宅待機の人に提供します。私の魂を救ってくださった主イエスは、私のために命を犠牲にしてくださいました。それならば、私たちが、信仰の友であり、神の家族の教会員の為に助け合うのは当然です。
感染を恐れて礼拝をしない教会も多く現れています。当教団でも、そのような教会が起こっています。教会に来ない信者も多く出ているようです。それは自由です。でも、80年前の戦時統制で教会に来ることを禁じた時に信仰を捨てたことに似ています。当時、多くの牧師が政府に迎合して、天皇崇拝を選びました。
感染したら、他の人に迷惑をかける、そして死者がでたら、どうする、と政府も、人々も集会禁止を呼びかけます。他方、勝手な人々は街に出て、酒を飲み、無防備な生活をしています。私たちは、日常は節制を保ち、自らは感染しないように注意しましょう。
感染を気にするなと言っているのではありません。感染を恐れて、礼拝や信仰を二の次にするなと言っているのです。私たちの信仰は病よりも大事なものです。また、そのような恐れが感染者を毛嫌いするような行動になることに注意しなければなりません。
ペテロは、自分が捕らえられることを恐れて、イエス様を「そんな人は知らない。」(マタイ26・74)と3度も拒みました。人間の力というのは、そんなものです。能力や意思、品性などに頼ってはいけません。多くの人の信仰は、理解と心掛け程度のものです。それでは神の国に行くことはできません。復活したイエスに出会い、聖霊のバプテスマを受けたペテロは、「人に従うより、神に従うべきです。」(使徒5・29)と議会を恐れませんでした。
人には、それぞれ弱さ、罪深さ、欠点があります。しかし、自らの弱さを見るのではなく、「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(26)という助け主に依り頼むべきなのです。
神はあなたを決して捨てないのに、あなたの方が恐れによって信仰を捨てることがあるのです。信仰には必ず試みがあります。うまく立ち回って、自分の弱さ、罪深さを表に出さないようにしていても、いつか本性をさらけ出さなければならない時が来るのです。神はご存じであり、サタンは隙をうかがっているのです。「見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22・32)
『わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る』(28)のは、全ての人間の本性が現れる為であり、救われている人を神の国に引き上げる為であり、さらに裁きを付ける時なのです。イエス様は「この世を支配する者が来る」(30)と言われました。確かに、首相も政治家も、医師会も、このサタンに支配されていることを悟らなければなりません。
ヨハネ14章26~31節
- 14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
- 14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
- 14:28 『わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。あなたがたは、もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。
- 14:29 そして今わたしは、そのことの起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったときに、あなたがたが信じるためです。
- 14:30 わたしは、もう、あなたがたに多くは話すまい。この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何もすることはできません。
- 14:31 しかしそのことは、わたしが父を愛しており、父の命じられたとおりに行っていることを世が知るためです。立ちなさい。さあ、ここから行くのです。
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