「平和と繁栄の中での信仰」Ⅱペテロ3章3~11節
イギリスはEU離脱の不景気の怖れがあるのかと思っていたら、人々は繁栄を喜び、家族や仲間たちとの交流を楽しんでいました。レストランはロンドンでは違いが大きくありましたが、地方ではどこも美味しかったです。暑くない、ということが大きな財産でもあることがわかりました。日本に帰ると逃げ出したくなるからです。
人気のミュージカル「ウィキッド」も見ました。肌が緑色の故にwicked(邪悪な魔女)とされた意志の強い善良な女性の物語で、「オズの魔法使いの裏話として造られたものです。肌の差別や動物虐待を取り上げ、善人が支配者によって悪人にされ、ハッピーエンドに終わらないのが特徴です。
日韓関係も悪化する一方ですが、最近、韓国の研究所で、反日を操作・教育して都合よく国民を統制してきたと告発する本が出て話題になっています。ともかく、世界中で歴史的にも、国民を操作するために、偏見や洗脳がされているのです。
中国では、キリスト教が国家の管理を損なうとして介入が激しくなっており、数千の公認教会から十字架が撤去され、共産主義のスローガンを礼拝の初めに唱えることが義務付けられました。非公認教会の指導者は、「政権転覆扇動罪」で拘留されています。
日本ではどうでしょうか。謙韓意識が強くなることによって、日本人が韓国に対して敵意や偏見を持つことは、それだけで思想統制の罠に入っています。他にも、高齢者の運転、年金不安、健康志向、ニート化(職業、就学などをしていない人)、美食追求、快楽追求など、メディアと政策によって、私たちが惑わされ、適切な判断ができなくなることは多いのです。
世界的には、政府の介入、文化の影響、快楽追求、などを嫌悪した人々は、意図的に自然志向、田舎思考、家族や仲間との交流思考、などに流れているようです。それでは、宗教はどうなのか、というと、宗教の世俗化、信者や指導者の退廃によって、信頼されなくなっていることが事実です。教会が伸び悩んでいる、ということは、伝道とか、企画とか、建物などというよりも、信者や牧師の聖さ、霊性が落ちているということが大いに関係していると思われます。つまり、この世に負けているのです。
「終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し」(3)とあるのは、神を信じているという私たちが堕落しているから、未信者は安心して「欲望に従って生活」するのです。韓国批判や日本批判、或は文明批判を通して、「聖い生き方をする敬虔な人」(11)であろうとする敬虔さを失ってしまうのです。
先週、櫻井先生が、「自分の運命は自分で切り拓くべきだと教えられていますが、完全に誤っています。」と語られました。その通りです。自分の判断で生きていると思い込んでいますが、実は、この世の洗脳の中で生きているのです。肉の欲とサタンの惑わしに操られているのです。
それではどうしたら良いのでしょうか。日々、多くの時間を御言葉である聖書に聞き、祈り、聖霊に満たされることを求める以外にはないのです。
イギリスをはじめ世界中で家族の愛と交流が大事にされています。それは、信仰者でなければ家族以外には拠りどころがないからです。仕事や地位、そして富も、幸せには大きく影響しないことがわかってきました。ところが、家族が大事だと思えば思う程、家族に対する期待や要求も強くなり、愛し合うことができなくなってしまうのです。
それでは、その限界に至って、神を求めるでしょうか。神は「あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」(9)
ところが、人は簡単には悔い改めるものではありません。「悪いことをする者は、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。しかし、真理を行う者は、光の方に来る。」(ヨハネ3・20)。「あざける者」は、「教会が聖められていない、正しくない。」などと言って、自分の不信仰を正当化します。それは、神の裁きが相対的ではなく、絶対的なものであることを知らないからです。そして、教会の中にいる聖められていない人々も、神の基準を相対的なものとみなす傾向があります。それを「不敬虔」(7)と言うのです。
イギリスの牧師は30代前半で、教会員が少ないことを気にしていました。司会から全て自ら取り仕切り、説教は1時間以上でした。礼拝後、教会員は、私の娘たちに、「説教はわかった? 難しくなかった?」と気遣っていました。まだ牧会4年ほどの牧師を取り巻く二人の温厚な長老と優しい教会員に、神の教会の優しさを感じました。あのしつこく長い説教を、私も若い時に語っていたように思います。間違ってはいませんが、もう少し穏やかに、例話を入れて話せば良いのにと思いながら、周りを眺めると一生懸命理解しようとしています。教会員は、未熟な牧師を「あざけっていません。」確かに、福音的な教会です。非難批判する人は、神の裁きに立ちおおせません。
Ⅱペテロ3章3~11節
- 3:3 まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、
- 3:4 次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」
- 3:5 こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、
- 3:6 当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。
- 3:7 しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。
- 3:8 しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
- 3:9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
- 3:10 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
- 3:11 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。
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