「怒ることをやめ、憤りを捨てよ。」詩編37編

東日本大震災から8年が経ちました。津波の被害の甚大さは、湾に積もったヘドロが巻き上げられて真っ黒な比重の重い海水となったことが原因でもあることがわかってきました。原発事故も未だに多くの住民が帰れない程の多くの被害を起こしました。被災者の苦しみ悲しみ、そして犠牲的な生活は、私達にも深い葛藤をもたらしました。自然災害には諦めも付くのですが、政府・企業の利益追求の災いが公害や事故につながっている現状には痛みだけでなく、怒りもこみ上げるものがあります。

 私たちは、そのような時に感情的になったり、攻撃的になったりするよりも、むしろ聖書を読み、祈ることによって、神の御心を伺い、神にある判断をするのです。この聖句には、そういう時に「腹を立てるな。不正を行う者に対して妬みを起こすな。」とあります。それは、彼らは「草のようにたちまちしおれ」るからですが、「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」(Ⅱペテロ3・8)とあり、神の国で永遠に生きる約束を握った者にとって、この世の栄耀栄華も露の輝きのようにはかないものなのです。

 小学校時代に中国の古典『聊斎志異』を読んで、荒唐無稽な話に驚きながらも、「人間万事塞翁が馬」(人生は何が起こるかわからない。別な古典からの格言)と思ったことを覚えています。小6の時に読んだ『方丈記』の「朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。」に涙して、仏教の世界観に抵抗すべく満足のいく人生を歩む決心をしたのは中1の春でした。高校時代は、武者小路実篤の理想郷建設思想に感銘をうけたのですが、その「新しき村」に生きる人々の弱さ浅ましさを知り、見切りをつけて、社会の成功者となるべく志を持ったのが高3でした。大学では生協を中心とした学生運動の委員長になりましたが、政治闘争の虚しさを悟り、ジャズや絵画にも凝り始めました。マージャンやパチンコそして、酒やタバコにふけりましたが、心の底には絶望感があり、苦しんでおりました。

 そして、神のことばである聖書を知り、キリストイエスを信じて生きるに至ったのですが、その後の人生に惑いはありません。確かに、真っ直ぐに生きるので、試練や艱難は多かったのですが、これぞ十字架の道と覚悟を決めて生きて来ました。

 神を信じない人々の悪行や攻撃、奸計は多くありましたが、腹を立てないで落ち着いて対処してきたつもりです。自称クリスチャンの罠や企みにも辟易してきましたが、怒って攻撃を返したことはありません。それは、聖書にそのような戦いや争いが多く書いてあるからです。「あなたがたは、自分自身を試し、また吟味しなさい。」(Ⅱコリント13・5)とあるように、自らをチェックすれば、未だ多くの罪深さや弱さ、未熟さがあります。それならば、他の人もまた、弱さや罪深さが十分にあるのです。

私は、感情に囚われるよりも意志をもって生きるタイプです。何よりも大事なことは、神の国への道を着実に歩むことです。途中には、山あり谷ありであり、正規な道が遠回りなこともあります。強盗もいれば、獣もおり、誘惑の道もあることでしょう。そういうものを眺め、様子を見ることを楽しんでおりますが、私は道を外したことはないつもりです。でも、多くの人は、道を外したり、歩もうとしないことが多いように見受けられます。愚痴を言ったり、弱音を吐いたりすると先に進めません。山歩きは、計画的に無理なく、しかし、着実に目的を目指して進まなければ遭難するのです。

 「あなたのみことばは、私の足の灯、私の道の光です。」(詩篇119・105)とあるので、聖書を読み教えられながら、「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(5)ことを体験してきました。大事なことは、悪人がどのようにしようと、政府や会社や組織が不誠実であろうと、「主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。」(3.4)ということです。

 自分のミスや罪深さに関してさえ、寛容であるべきです。なぜなら、主が罪を許して下さったのであり、それは正しいが故ではなく、罪びとであることを認めたからです。他人に対して厳しい人は、自らの赦しを確認していないからです。或は、救われていないからです。

 東北の被災地への何度も行き、ごみ焼却場の灰の放射能鑑定を10万円もかけてしました。イスラエルにも3人で行き、放射能清浄器を輸入しようとしたり、放射能汚染物質のガラス固化を政府に働きかけたりしました。子供の甲状腺がん対策のためにヨウ化カリウムを無料で贈呈しました。これらの働きに五百万円以上を掛けましたが、徒労に終わりました。

 いろいろなことをしてきましたが、確かに終末が近づいているという実感を強く感じております。そして「主を待ち望む者」(9)であることを強く認識しています。もはや、人の働きは、主のはかりごとを止めるものではありません。主が来られた時、「主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。」(6)のです。

詩編37編

  • 37:1 悪を行う者に対して腹を立てるな。不正を行う者に対してねたみを起こすな。
  • 37:2 彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。
  • 37:3 【主】に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。
  • 37:4 【主】をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
  • 37:5 あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
  • 37:6 主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。
  • 37:7 【主】の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。
  • 37:8 怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
  • 37:9 悪を行う者は断ち切られる。しかし【主】を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。
  • 37:10 ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。
  • 37:11 しかし、貧しい人は地を受け継ごう。また、豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。
  • 37:12 悪者は正しい者に敵対して事を図り、歯ぎしりして彼に向かう。
  • 37:13 主は彼を笑われる。彼の日が迫っているのをご覧になるから。