「節目のある信仰生活」-神に出会ったヤコブの事例から‐創世記28章10~19節 北野耕一師

はじめに:

  人は”通過儀礼”と呼ばれる人生の節目を通って成長します。誕生、成人式、入学式、卒業式、結婚式、入社式.等々です。その中でも最も悲しいのは、愛する者を失うという葬りの儀式です。今日も西日本では、その痛みの通過儀礼を通らせられている方々もおられましょう。

  信仰生活の成熟に大切なことは信仰の歩みに節目をつけるということです。イスラエル民族には出エジプトという奇蹟的な節目がありました。そして事ある毎にそれを記念しました。私たちも個人的に主キリストに出会った経験や、教会の顕された神の業を節目として思い起こすことが大切です。今日の創立34周年祈念礼拝もその節目の一つです。

 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩103:2)

信仰体験に節目を付けたヤコブ(創28:10-19):

  兄エサウが受けるはずの祝福をだまし取ったヤコブは、家族と生活を共にすることができず逃げ出し、荒野で一夜を明かすことになりました。そこで主なる神と出会い、罪深いヤコブではありましたが、驚くべき神の啓示と祝福の契約をいただいたのです。その貴い経験を彼は心に刻みつけるために、枕していた石を立て、その上に油を注いで、その場所をベテル(神の家)と名付けました。すばらしい信仰体験に節目をつけたヤコブの行為であるといえましょう。それだけではなく30数年後裕福になって実家に帰る途中、かつての出来事を忘れず、再びベテルに帰って、祭壇を築き、神を礼拝しています(創35:3,7)。今日は千葉福音キリスト教会が柏崎久雄師ご夫妻によって1984年7月に伝道活動が始められてから34年経った記念の礼拝式なのです。

 このヤコブから学ぶこと:

①「あるところ」で神に出会った意義

・神に出会えるような場所でない「あるところ」

・石を枕にしなければならなかった「あるところ」

・神の気配すら感じないような「あるところ」、荒野

・人生の荒野、孤独な荒野であても、そういうところにも顕れる神

②「あるところ」で記念の石の柱を立てた意義

・ヤコブの最初の信仰告白

・神体験を言葉に表現したヤコブ

・神体験を行動に移したヤコブ

・危険な旅に必要な油を神の前に惜しげもなく注ぐヤコブ

・隠された神の恵みを見出し、言葉と行動で応答した(節目を付けた)ヤコブ

③ベテルに帰って祭壇を築いた意義

・かつての「あるところ」をエル・ベテル(ベテルの神)と名付けたヤコブ

・神の啓示と祝福の契約を風化させなかったヤコブ

おわりに:

私たちのエル・ベテルは、自らを献げられた主イエス・キリストの十字架です。主キリストに出会い、救いに与った私たちのベテルを思い起こしましよう。そして、改めて今日私たちの祭壇を築き、私たちの自身を献げ、一人ひとりに応じた献身を主に誓おうではありませんか。(ガラ2:19-20)

創世記28章10~19節

  • 28:10 ヤコブはベエル・シェバを立って、ハランへと旅立った。
  • 28:11 ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。
  • 28:12 そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。
  • 28:13 そして、見よ。【主】が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、【主】である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。
  • 28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。
  • 28:15 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
  • 28:16 ヤコブは眠りからさめて、「まことに【主】がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言った。
  • 28:17 彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
  • 28:18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。
  • 28:19 そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の名は、以前はルズであった。