「自分を低くすると高められる。」マタイ18章1~10節

「弟子たちがイエスのところに来て言った。『天の御国では、誰が一番偉いのでしょうか。』」。男性は社会的存在なので、秩序や序列を確認する傾向があります。そして、上昇志向や権力志向も強いので、偉くなりたいという気持ちも強いものです。気持ちは心身にストレスを与え、スポーツなどでは、「勝ちたい。」と思うと力が入って失敗します。スポーツなどの現場で「リラックス!」と声を掛けるのは、そのような気負いを待たずに対戦するためです。

「賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制(節制)します。…私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」(Ⅰコリント9・24.25)とあるので、天の御国に行くために、努力をすることは当然なこととされます。

つまり、弟子たちがイエス様に尋ねたことは、家柄や身分で誰が一番偉いのか、ということであって、イエス様が「この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」と答えられたのは、人の在り方です。このように人は権力を持ちたがるのですが、自らの在り方を吟味する人は少ないのです。

上意下達の組織の情報交換の悪さが問題になっています。業績不振の大企業が幾つも挙げられていますが、特徴は地位が絶対で上司の命令はなんとしても守るけれども、責任外、担当外のことは始末が問われるので関わらない、という組織です。その最たるものが公務員であることは間違いありません。政治家の唯我独尊ぶりは滑稽なものです。

「だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。」小さな子ですから、一人では生きてはいけません。世話も手間も掛かります。判断も仕事もできません。子育てが親の思い通りになるものだと思ったら大間違いです。手を掛け、愛情を注いだら良い子になる、などと思ったら、反抗期には自分の未熟さを思い知らされることでしょう。さらに、病気がちの子もいるし、障害を持っている場合もあります。頭が悪く、性格も悪く、要領も悪い、そんな子が当たり前なのです。「女が慎みをもって、信仰と愛と聖さとを保つなら、子を産むことによって救われます。」(Ⅰテモテ2・15)は、子育ての忍耐と努力への神の報いです。それでは、男はどうしたら救われるのでしょうか。「子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる」ことが必要です。わからない人は、今回のキャンプに参加してください。その一端を理解するかもしれません。子供のいない人は、自分のしたいことをしている気がします。子育てではそれができません。

「このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。」自分の思う通りのことができない理不尽さを、キリストを信じる故に積極的に受け入れるならば、それがキリストを受け入れることなのです。子供が自分に愛と恩を返してくれるかどうかはわかりません。確実であるならば信仰とは呼びません。

「わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者」とは、そのような何もわからず過ごし、自分一人では生きることのできない子供たちを、責任をもって育てず、怒りと脅しで育てたら、その者に対して神は容赦はしないということです。

これらのことは、どういうことなのでしょうか。「子どものように自分を低くする」とは、思い通りにならない日々を受け入れて、他の人の要望と思いのままに生きるということです。私たちの周囲には、自分のやりたいことをし、言いたいことを言って、勝手に生きている人々がいます。それによって他の人に損害を与えても、平然としています。もし、私たちが、そのような自分勝手な人々に懲らしめられても、「自分を低くする」ならば、なんということもありません。そして、私たち自身が「小さき者」となるのです。「あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。」神は、私たちを見守っておられます。

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイ16・24)。

「自分を捨て」とは、小さな子どものように自分を低くすることです。文句を言ったり、注文を付けてはいけません。「自分の十字架を負い」とは、地上の報いのない中で、神に仕える者として精いっぱい働くことです。そうしなければ、イエスについていくことはできず、「天の御国」に入ることも難しいのです。

マタイ18章1~10節

  • 18:1 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」
  • 18:2 そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、
  • 18:3 言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。
  • 18:4 だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。
  • 18:5 また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。
  • 18:6 しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。
  • 18:7 つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。
  • 18:8 もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
  • 18:9 また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちに入るほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
  • 18:10 あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。