「主は私の羊飼い。」 詩篇23篇

終末の裁きの時に、全ての人は裁きの座の前に集められます。「人の子は、羊飼いが羊を山羊からより分けるように彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。」(マタイ25・32.33)。羊とは、「世界の基が据えられた時から、あなたがたの為に備えられていた御国を受け継ぐ」(同34)と区別されていた信仰者のことです。

羊も山羊も「ウシ科ヤギ亜科」に属し、ヤギ属かヒツジ属かの違いであり、羊は温厚でおとなしく、臆病です。山羊の性格は自己中心的、攻撃的、好奇心旺盛で活発、近づくと危険であり、羊と性格が逆です。羊は草食で、山羊は雑食なので木の実や残飯も食べ、その肉はかなり匂いがきついそうです。羊は牧草を食べ、糞を出し、それを繰り返すので土地が豊かになるそうです。山羊は何でも食べてしまうので、痩せた土地や高い岩場でも育ちますが、農作物も食べてしまうそうです。山羊が増えすぎて環境破壊した例も各地で報告されています。

羊の聴力は良く、水平に広い瞳孔を持つので視野は270~320度もあるのですが、奥行きは知覚できず、影や窪みにひるんで進めなくなります。群れたがり先導者に従い、群れから離れると強いストレスを受けます。群れの中では、自分と関連あるもの同士が一緒に動く傾向があり、混種の群れの中では同じ品種で小グループができるし、また雌ヒツジとその子孫は大きな群れの中で一緒に動きます。羊にとって、危険に対する防御行動は単純に危険から逃げ出すことです。

なぜ、聖書では羊が信者で山羊は信者でない人なのでしょうか。肉が旨いからではないでしょう。土地を豊かにするからでもないでしょう。性格が温順で、群れを作り、指導者に従うからであると思われます。

「主は私の羊飼い。」と喜ぶ人は、間違いなく信者です。普通の人は、「神に飼われてたまるか。」と拒むものです。罪とは自己中心であり、自分の欲に引かれてやりたいようにやろうと思うのが普通の人です。普通の人同士の夫婦が、本当に仲良く愛し合い、助け合えるのか疑問です。夫婦が主導権争いをしいるからです。お金があり、老後の貯えがあれば、どうにか我慢しているでしょう。

「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。」と言える信仰者がどれだけいるでしょうか。クリニックニュースで「もし妻がコロナに罹ったら、私も罹って共に過ごします。」と書いたら、多くの反響がありました。私にとっては、「病める時も健やかな時も、妻を愛し助ける。」と誓ったのですから、当然なことです。夫婦が共にこの意識を持たなければなりません。

イエス様は「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10・11.)と、羊である信者を救う為には命も犠牲にする覚悟を伝えます。この主イエスに信頼するからこそ、「あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。」と言えるのです。

 今週は私が夏風邪をひき鼻水が出て熱も出たので、「私がコロナだったら御免ね。一緒に仕事を休み、休暇を取ろうか。」などと話したのですが、検査では陰性でした。相変わらず味にうるさいので違うと思っていましたが。主イエスを救い主として信じる、ということは、どんなことがあっても、神が私のことを命がけで守ってくださる、と信じることです。

 世界のコロナ情勢を見ると、日本人は他国の中途半端な感染対策を馬鹿にしているようなところがあります。ついに岩手県でも感染者が出たということで、その会社は大変な攻撃・批判を受けているそうです。第2次世界大戦の際の言論統制は、対外強硬論一辺倒のマスメディアによるものでしたが、それに同調して、愛国心を啓発しない人々を非国民扱いにするものでした。

 わたしは、日本のキリスト教会が同じような轍を踏んでいるようなきがします。私たちの教会は、感染対策は十分行った上で、通常の礼拝や教会活動を行っています。しかし、周囲を見ると、私たちが異常に思われる程、活動自粛をしている教会ばかりです。「コロナごときに、信仰者の気概を失わさせてたまるか。」という信仰者魂はあるのでしょうか。

 信仰は戦いです。恐れないで、主を信じることが大事です。「感染したら、どうしよう。」などという思いが不信仰以外に理由づけられるのでしょうか。「あなたは弱者、障碍者、病者のことを配慮していない。」と私を責める人がいるでしょうか。私は牧師であって、病気の癒しよりも健康よりも、信仰を重視し、神の国に入る人が増えることの為に働いています。むろん、医療従事者としても、当たり前以上のことは夫婦と家族でしていると思いますが。

「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」

詩篇23篇

  • ダビデの賛歌
  • 23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
  • 23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
  • 23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
  • 23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
  • 23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
  • 23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。