「キリストが真理です。」エペソ4章22~32節

 『ファクトフルネス』という昨年ベストセラーになった本を読んでいます。世界の事実に関する12の質問をした1万2千人の平均正解数は2つで、11問正解が一人、全問不正解が15%もいたそうです。チンパンジーに答えさせても33%は確率的に合うのに、どうして不正確が多いのかというと、人間には偏見や思い込みが強くあるからです。
著者のハンス・ロスリング医師は「国境なき医師団」を立ち上げたスウェーデン人で、この本では10の間違った本能が正確な判断を誤らせていると指摘しています。中でもネガティブ本能、恐怖本能、過大視本能、パターン化本能、単純化本能、焦り本能などが印象に残ります。
1989年、彼がコンゾという病気の研究の為にコンゴで血液検査をしようとテントで準備していると、村人の血を売って儲ける為に来たのだと誤解され、二人の男がナタを振りかざして近づいてきたそうです。逃げたくなるのを抑えて説明しても理解されません。しかし、一人の女性が、はしかが治ったことを同じだと説明し、事実を積み重ねて科学調査の必要性を訴えて村人の同意を促し、彼の研究は成果を得たのです。
私自身、牧師として、そして研究者として、信者や牧師たちの先入観が正しい信仰を阻害していることを訴えてきましたが、却って熱心な人々の方が、その立場を変えないことに気が付いています。
①人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと。22
②心の霊において新しくされる。23
③ 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきこと。24
日本では、人の世話になるな、失敗をするな、などと小さい頃から躾けられます。でも、新約聖書には「互いに」という言葉が92回あります。一方的に与え、助けるだけでは「互い」とは言わず、それは愛の交流のない人間関係です。そういう日本的価値観で形成されている「古い人を脱ぎ捨てる」ことができないと、信仰者として次に進まないのです。与えられ、助けられる謙遜を身につけましょう。
「心の霊において新しくされる。」とは、人格的霊的な頑なさを捨て、キリストの御霊に満たされることです。「こういうのは嫌い。」「こういうことはできない。」「生まれつき苦手」などということは、「自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」(マタイ16・24)というようにイエスキリストの弟子にはなれません。
「真理に基づく義と聖」とは、生ける神キリストに繋がる真理であり、自分が正しいと思っている真理ではありません。多くの人が、聖書を教理的知識的理解で信仰生活を送っています。自分の内にキリストの霊である聖霊が内在し、その御霊が「真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」(ヨハネ14・
17)。この内在の聖霊に導かれ、いのちと喜びと愛に満たされるからこそ、「真理」を身に着けるのです。そして、この「真理」なくして、「神の義」(マタイ6・33)を得ることはできないのです。
「聖くなければ、だれも主を見ることができません。」(へブル12・14)は、「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。」に続く言葉です。つまり、不平、不満、要求を他の人に持つならば、その人が聖くなることはないのです。そして、人の背後におられる主の導きも知ることがありません。
「神を信じている。キリストを信じ救われた。」というならば、それに相応しい生き方をしなければ、クリスチャンとしての祝福を得られないだけでなく、神の国にも入ることはできません。不正や悪に怒ることもあるでしょう。しかし、「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与え」(26.27)るからです。
「困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。」(28)。信仰者は勤勉です。それも「困っている人に施しをするため」なのです。私は未だかつて、献金や人に与えることを惜しむ真の信仰者に会ったことはありません。打算で生きる人は、神を信じていないのです。
「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」(29)。自分の語る言葉を必ず振り返って吟味してください。おしゃべりな人は、言葉によって失敗をします。「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。」(31)こういうことを持っている人からは、聖霊が去り、神の恵みと慈しみもなくなります。私たちに内在する聖霊は、私たちの悪に悲しみ、内在できなくなるのです。彼らは、神を信じていると自ら言っていますが、既に聖霊が去り、滅びの道を歩んでいるのです。悔い改めることができるのでしょうか。「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(32)

エペソ4章22~32節

  • 4:22 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、
  • 4:23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、
  • 4:24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。
  • 4:25 ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。
  • 4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
  • 4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。
  • 4:28 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。
  • 4:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。
  • 4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
  • 4:31 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
  • 4:32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。