「信仰の危機管理」マタイ25章1~13節 櫻井圀郎牧師

序  新型コロナウイルス感染症 COVID-19 の感染拡大で深刻な影響。神を知らない人々は怖じ惑い、歪んだ宗教者は医学的・疫学的・科学的な見地を省みない暴挙に。

世界は神の支配下にあり、一切の物質と現象は神の法に従っています。神学と科学は、夫々の領域から神の意思を探究していますが、一方だけでは歪です。両者の知見を根本に据え、十分な知識と正確なデータに基づいて対応することが、我々人間に求められている道です。

   一 十人の処女

主イエスは、「天の御国」を、婚礼を前に、新郎を迎えに出た、松明を持った「十人の処女」に喩えています。「十人の処女」は、希語では「デカ・パルテノイス」。「デカ」は「十」、「パルテノス」は「処女」「清い」「汚れがない」という意味。

「信者を、清純な処女として、基督の花嫁に定めた」(第二コリント十一2)。信者は清純な処女、基督の婚約者です。「十人の処女」も「処女」なので、十人全員が信者です。

エバのように、蛇に欺かれて貞潔を失うことがないように」(第二コリント十一3)。悪魔に従い、神を否定する罪人は、汚れた非処女。天国は基督との婚礼の場ですから、非処女は入れません。

ただし、基督の贖いにより、汚れの罪に死んで、清くに蘇った者も天国に入ります。基督の信者です。基督と結婚すべく花嫁修行中の婚約者です。

   二 五人の否定

十人とも「処女」で、婚約者の筈ですが、婚礼に入ったのは五人だけ。そして、屋敷は閉門。遅れた残り五人は入れず、「お前たちは知らない」と否定されます。

 この屋敷は天国ですが、拒絶された五人も信者。信仰があったはずなのに、なぜ否定?。天国と地獄の間に中間領域はありませんから、「天国に入れない」は「地獄に落ちる」を意味。

その原因として二点。一つは「信仰の有無」、もう一つは「中保者」。

一点目。「ただ信仰のみ」「信仰があれば天国」と教えられてきたのに、「信仰があっても地獄」とは?。

 「信仰がある」と言いながら「信仰がなかった」ということ。「実のある信仰」ではなかった。「形式上の信仰」「見せかけの信仰」「名目的な信仰」など。

形式的には、信仰告白さえすれば信者とされます。神学的には「義化」の段階。義人となったので、天国の住人資格は取得しています。しかし、心が汚れたままでは入国許可は下りません。

 単なる形式的な信仰者と「真の信仰者」とが区別されます。先の五人と後の五人とを分けたものこそ、「真の信仰」「本当の信仰」「本物の信仰」です。

 二点目は、「中保者」。花婿と一緒の花嫁は屋敷に入れられましたが、一人では入れません。婚礼の席に花婿なしの花嫁だけでは無理です。

   Ⅲ 油断大敵!

 この10人は、松明を持って、早婿を迎えに行きます。「松明」は、希語では「ラムパス」(英語の「ランプ」の語源)。古代ギリシャでは、松明が太陽を象徴し、神事として「松明運び」「松明競争」。五輪の聖火リレーの由来。

 この「松明」とは何を意味? 夜道の照明用と考えるのが単純明解ですが、夜間照明なら五人分の松明があれば、十人が揃って迎えたでしょう。

 五輪聖火のように、自分の婚礼のための火を灯す松明であったのかも。五人の処女が準備した「油」は「エライオン」。希語では「オリーブオイル」「聖油」を意味。聖油を燃料とする松明なので「聖火」という意味も。

 「松明」は基督と婚礼しうる「信仰の火」の喩え。「口先だけの信仰でない信仰」とも。「油」は信仰の火を燃やし続ける燃料。普段の努力であり、信仰生活です。

 基督者の信仰は自己に求められる最大限を尽くすこと。百%のみが合格です。それが「信仰」というもの。

 油を絶やせば即地獄です。油断大敵! 「油断」とは仏教の「涅槃経」の一節「王勅一臣、持一油鉢経由中過、莫令傾覆、若棄一滯、当断汝命」に由来。

 仏教の「油断」は運ぶ油を溢したら命を絶たれることですが、福音書の「油断」は油の予備を怠ることです。怠惰、努力の欠如、信仰の欠如です。信仰の欠如が生命の危機を招きます。

マタイ25章1~13節

  • 25:1 そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。
  • 25:2 そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。
  • 25:3 愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。
  • 25:4 賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。
  • 25:5 花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。
  • 25:6 ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ』と叫ぶ声がした。
  • 25:7 娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。
  • 25:8 ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』
  • 25:9 しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』
  • 25:10 そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。
  • 25:11 そのあとで、ほかの娘たちも来て。『ご主人さま、ご主人さま。あけてください』と言った。
  • 25:12 しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません』と言った。
  • 25:13 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。