「自らの堅実さを失わないように。」Ⅱペテロ3章10~18節

2月26日から今年の受難節が始まっています。この受難節は、325年のニカイア公会議で決まったようですが、キリストの十字架を偲び復活を喜ぶためのもので、この期間はレントと呼ばれ、日没後に食事をとるだけでした。肉や乳や卵を取らず、節制を保つのですが、日曜日は祝いの日なので、この日曜を除いた40日間つまり46日間がレントです。カトリックでは四旬節というそうです。

日本では、殆どこの習慣はありません。信仰について御利益を求めるものという意識が強く、人間中心思考が根本にあります。「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。・・・人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。」(ガラテヤ6・2.5)。これは他の人の弱さや愚かさを助けて生きることが、その人への律法であり(個人的な命令)、自分の利益を求めて生きることは、罪人の証明となるのです。わざわざ、断食をし、自分に負荷や犠牲を強いることは、キリストがそうされたことを覚えての克己であり、戒めです。

終末の特徴は、「あざける者どもがやって来て嘲り、自分たちの欲望に従って生活し」(Ⅱペテロ3・3)、「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。」(3・4)と敬虔に歩んでいる信仰者をあざ笑うのです。それに対して、私たちは、「よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。」(3・17)。信仰の戦いとは、力自慢や奇跡競争ではなく、敬虔であり続けられるか否かなのです。

新型コロナウィルスは、2月1日に「指定感染症」となり、感染流行を抑える為として、集会や行動が自粛され、感染者は隔離されました。これらは正当なことであると思います。しかし、3月13日に特措法が成立して政府が「緊急事態宣言」をすれば、移動や集会が制限されることになりました。公衆衛生を根拠に私権を制限することが超法規的にできるということで、施政者の判断で個人も社会も統制されるということです。1995年に制作された『アウトブレイク』(爆発的な感染)という映画は、エボラ出血熱に似た空気感染するウィルス感染症を防ぐために、アメリカ政府が強力な爆弾を感染地に投下して多くの住民を殺害しようとするものです。ウィルスは、細菌の100分の1、細胞の千分の1くらいで小さく、細胞膜も持たないので、治療薬は作れず、その増殖を防ぐくらいのことしかできません。ワクチンによる疑似感染で免疫力をつけるしかないのです。つまり、間違いなく「方々に疫病や飢饉が起こり」(ルカ21・11)という終末の兆候は続き、「人々はあなた方を捕らえて迫害し、会堂や牢に引き渡し」(21・12)となるのです。

なぜ、信仰者が迫害されるのでしょうか。中国で武漢市の患者隔離施設の医師が、新規感染者ゼロは習近平国家主席の視察に合わせた嘘であると告発しました。新型コロナウィルスを告発して処分された34歳の医師は2月7日に自ら感染して死にました。同僚たちも次々に死んでいます。それらに関する事実の解明はされず、報道もされていません。おそらく中国政府による情報統制でしょう。迫害によって私たちの信仰の真偽が明らかになります。

 今回のウィルス事件で経済はかなり悪化し、倒産や破産、不況は世界大恐慌以来のものとなるでしょう。森友事件で真実を告発した職員が自殺に追い込まれ、最近その手記が明らかになりましたが、政府は再調査もせず隠しています。今後、このような政府や指導者による専横や汚職は悪化していくでしょう。それが終末預言です。恐慌の後は戦争がお決まりです。戦時下に、自由や言論が統制されるのは歴史が証明しています。

 「しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。」(3・10)。終末や主の再臨を信じるか否かは個人の自由です。「神の日の来るのを待ち望み」この世の行く末を案じない人は、「正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」

 コロナウィルスを恐れるなとか、神を信じていれば感染することはない、などと言っているのではありません。十分注意するべきですが、大事なことは、私たちの信仰を揺らがせてはならないということです。「無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所の場合もそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。」(3・16)とは、そのような人々のことです。信仰者にも同じような試練はあります。むしろ、他の人以上に迫害されると書いてあるのです。そして、聖書信仰を自分の都合の良いように捉え、試練や迫害や困難な時に、この世に迎合する人々が信仰の破船に遭うと聖書は警告するのです。

 コロナウィルスの困難は終末の序の口です。まだまだ、困難は深入りしていきます。目先の言い訳は神には通じません。ウィルス感染者でなくても入国が禁止されています。神の国の入国には、もっと厳しい検査があります。聖さこそ、その基準です。神を心から信じていなければ、聖さは持てず保たれません。

Ⅱペテロ3章10~18節

  • 3:10 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
  • 3:11 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。
  • 3:12 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
  • 3:13 しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
  • 3:14 そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。
  • 3:15 また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。
  • 3:16 その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所の場合もそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。
  • 3:17 愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。
  • 3:18 私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。