「主が遣わす預言者。」エレミヤ27章2~5節、28章8~13節

多くの人は、「宗教にはまる」ことを恐れ、ある程度の距離感をもって宗教と接しようとします。新宗教への入信の動機は、貧・病・争と言って、問題の解決を求めてのことが多く、現世利得となります。教えは、「心なおし」と言われ、何らかの方法によって心の持ち方を変えたり、教祖の教えに従うものとなります。日本には人口の2倍の信者がおり、葬儀などには新宗教の信者も伝統仏教に依頼することがあるようです。

キリスト教をそのような宗教と同一視することを嫌い、「道」であるとして、他の宗教批判や区別をする牧師も多くおります。私は、人を攻撃したり、批判したりするのが好きではないので、他宗教批判はしません。宗教を持たない人々よりも、何らかの宗教を持っている人を信用するべきだと考えております。神なき人生観を持っている人は、平気で嘘を言い、誤魔化しをすることを経験してきました。実は、クリスチャンでもそういう人はおり、昔は心を痛めてきました。

「救い」の体験がクリスチャンと他との違いを明らかにするものですが、この「救い」も人によって濃淡があります。

① 義認
罪を悔い改めた者が、罪赦され、義とされることです。この義認を得た者が罪に苦しむことはありません。

② 新生及び神の子とされること
神からの新しい命を受け、神の子として生きる。

③ 聖化
自らの為の生活をやめ、神への献身として生き方を変える。

このような「救い」を得て、クリスチャン(キリストに似た者)となることができ、私自身はそのような生涯を歩んでいるつもりです。ところが、中途半端なクリスチャンが現代社会には多いような気がします。周りは未信者であり、クリスチャンではないので、クリスチャンらしく生きることがわからないのでしょうか。私自身は、サンプルなく、ただ、神を信じ、神に仕える人生を心掛けてきただけです。

エレミヤは「あなたが彼らを打たれたのに、彼らは痛みもしませんでした。彼らを絶ち滅ぼそうとされたのに、彼らは懲らしめを受けようともしませんでした。彼らは顔を岩よりも堅くし、悔い改めようともしませんでした。そこで、私は思いました。『彼らは、実に卑しい愚か者だ。主の道も、神のさばきも知りもしない。』」(5・3.4)と嘆くのです。

「主はこう仰せられる。「倒れたら、起き上がらないのだろうか。背信者となったら、悔い改めないのだろうか。」(エレミヤ8・4)。救われて神の子になるということは、神の選びによるものです。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり」(ヨハネ15・16)とあるように、もし、自称クリスチャンが献身もせず、実を結ばないのであるならば、選ばれていないのだと思います。そういうことは、私の関われないことです。

牧師は、神の子として選ばれ、神に仕えるという聖化の道を心掛ける「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ」(エペソ4・12)る職務だからです。そして、選ばれているかどうかは、その人自身が、そのような歩みをするかどうかで外面的に証明されます。この世の義理や能力でやっているかどうかは、試練によって試されます。「信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちていく金よりも尊く、イエス・キリストの現われのときに賞賛と光栄と栄誉になることがわかります。」(Ⅰペテロ1・7)。そして、「魂の救いを得ているから」(1・9)、信者は、試練の中にあっても、「栄えに満ちた喜びに踊っています。」(1・8)。

 エレミヤは、神に命令されて牛につけるくびきを首につけ(27・2)、「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば魂に安らぎが来ます。」(マタイ11・29)を実践したのです。「しかし預言者ハナヌヤは、預言者エレミヤの首から例のかせを取り、それを砕いた。」(28・10)。自分の都合の良いように生き、神はその自分を守ってくださるはずだと考えるハナヌヤは、エレミヤを馬鹿にして、そのようなくびきを砕いたのです。しかし、ハナヌヤは「今年あなたは死ぬ。主への反逆をそそのかしたからだ。」(28・16)となるのです。

 奇跡を体験した、聖霊のバプテスマを受けた、として自分を「救われた」と証明したい人もいるものですが、「救い」の証明は、体験ではありません。そして、「救われた」者は、聖めへの道を歩むものです。終末の試練や困難や迫害の前に自らの「救い」を確認しておいてください。

エレミヤ27章2~5節、28章8~13節

  • 27:2 【主】は私にこう仰せられる。「あなたはなわとかせとを作り、それをあなたの首につけよ。
  • 27:3 そうして、エルサレムのユダの王ゼデキヤのところに来る使者たちによって、エドムの王、モアブの王、アモン人の王、ツロの王、シドンの王に伝言を送り、
  • 27:4 彼らがそれぞれの主君に次のことを言うように命じよ。『イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。あなたがたは主君にこう言え。
  • 27:5 わたしは、大いなる力と、伸ばした腕とをもって、地と、地の面にいる人間と獣を造った。それで、わたしの見る目にかなった者に、この地を与えるのだ。
  • 28:8 昔から、私と、あなたの先に出た預言者たちは、多くの国と大きな王国について、戦いとわざわいと疫病とを預言した。
  • 28:9 平安を預言する預言者については、その預言者のことばが成就して初めて、ほんとうに主が遣わされた預言者だ、と知られるのだ。」
  • 28:10 しかし預言者ハナヌヤは、預言者エレミヤの首から例のかせを取り、それを砕いた。
  • 28:11 そしてハナヌヤは、すべての民の前でこう言った。「主はこう仰せられる。『このとおり、わたしは二年のうちに、バビロンの王ネブカデネザルのくびきを、すべての国の首から砕く。』」そこで、預言者エレミヤは立ち去った。
  • 28:12 預言者ハナヌヤが預言者エレミヤの首からかせを取ってこれを砕いて後、エレミヤに次のような主のことばがあった。
  • 28:13 「行って、ハナヌヤに次のように言え。『主はこう仰せられる。あなたは木のかせを砕いたが、その代わりに、鉄のかせを作ることになる。