「恐れてはならない。」ヨシュア1章5~11節

コロナウィルスにまみれている武漢市の牧師が手紙を出しました。

危機的な状況ではありますが、私たちは主の約束に信頼しています。私たちに対する主の思いは災いではなく平安であり(エレミヤ29:11)、私たちに試練の時を許し、滅ぼすのではなく私たちを建て上げてくださいます。ですからクリスチャンは、町の人と共に苦しむだけでなく、恐れている人々のために祈り、イエス・キリストの平安をもたらす役目があるのです。

まず、キリストの平安が私たちの心を支配しますように(コロサイ3:15)。キリストはすでに私たちに平安を与えてくださっていますが、それは災いと死を免れることを意味するのではなく、むしろその真ん中にあっても平安だということです。キリストが既に病や死に勝利してくださいましたから(ヨハネ14:27、16:33)。もしこの平安がなかったなら、疫病を恐れ、死に直面して希望を失うことでしょう。

なぜ私たちは平安を持つことができるのでしょう。主は「悪しき者には平安がない」(イザヤ48:22)と言われました。私たちはかつてみな罪人で、平安がありませんでした。しかしキリストが、私たちの罰を身代わりに受けてくださり、ご自身の平安を与えてくださったのです。クリスチャンは地上において苦しみに直面するかもしれませんが、その苦難は罰ではありません。むしろ全能者なる神の御そば近くで成長し、たましいの不純物を除き、福音を宣言する新しいチャンスなのです。

言い換えれば、災害に遭ったとしても、それは神の愛の現れに過ぎません。パウロが固く信じていたように、「誰がキリストの愛から私たちを引き離すでしょうか。苦難、苦悩、迫害、飢え、裸、危険、剣ですか……これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。死も、命も、御使いも、支配者も、今あるもの、後に来るもの、力も、高さも、深さも、その他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません」(ローマ8:35?39)。私は彼らに頼みました。特に、「キリストに目を向けてください」と。私の幸せを心配したり、動揺したり、恐れたりしないで、イエス・キリストの名によって祈ってください。

歴史上、疫病は社会も文化も変えるものとして恐れられてきました。6世紀のペストは、東ローマ帝国の人口の半分を失わさせ、14世紀のペストは中国で流行ったものが中東からヨーロッパまで移り、当時の世界人口の半分以上が死んだと言われています。17世紀の中国のペストは1000万人以上が死にました。スペインの侵略と共に侵入した天然痘でインカ帝国の94%が死亡したともいわれています。

その他、チフス、結核、インフルエンザ、致死率の高いエボラ出血熱などが多くの死者を出しています。エイズ、マラリア、もあり、sarsはコロナウィルスです。このような疫病に対するものとして公衆衛生学が発生し、医学の上位に位置するものとされています。

 医学も、科学も、文化も発達したのに、次々に未知の疫病が発生し、未だ治療法が確立していないものもあります。旧約聖書には、疫病という言葉が55か所あり、新薬は一か所です。「大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現れます。」(ルカ21・11)。つまり、終末の兆候ということです。

 人々は、対処し得ない疫病の蔓延に際して、神の国を求め、信仰をもって死んでいったということが歴史的事実です。実際には全ての人はいつかは死ぬのですが、対応できない疫病に対しては、大きな恐怖を覚えるのです。

 「罪が死によって支配した」(ローマ5・21)というように、人は死の恐怖の中で罪を犯すのです。信仰者は、死の恐怖に対して救いによって平安を得、不信仰者や偽の信仰者は死の恐怖によって逃げ惑うのです。

 世界中が感染を恐れています。そして、仕事も生活も破綻させて、浸すらおびえています。クリスチャンは、未信者のように怯えてはなりません。「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(9)。

 「糧食の準備をしなさい。」(11)。今までは、マナとウズラによって恵みによって食を得ていたイスラエルの人々ですが、これからは自らの戦いと労働で食を得ろと、主は言われます。恐れている人は働きません。そして、自らを滅ぼしていくのです。

 働くということは、疫病に対しても、しっかりと対処して映らないようにするということはもちろんです。それだけでなく、試練の後に続く戦いにも備えていくということです。

ヨシュア1章5~11節

  • 1:5 あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
  • 1:6 強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。
  • 1:7 ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行え。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。
  • 1:8 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。
  • 1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」
  • 1:10 そこで、ヨシュアは民のつかさたちに命じて言った。
  • 1:11 「宿営の中を巡って、民に命じて、『糧食の準備をしなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡って、あなたがたの神、【主】があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、進んで行こうとしているのだから』と言いなさい。」