「神の摂理の下で。」ピレモンへの手紙9~21節

は自己犠牲はするけれども人に頼むことは少ない人です。当初は未成熟な信者から支援されることを嫌い、天幕作りをして生計を立てていたような人ですから。ところが、そのパウロが頼みごとをする現存する唯一の私信がピレモンへの手紙です。

あて先はコロサイに住んでいる裕福で敬虔な信者とその妻です。本題にはなかなか入らず、ピレモンの「信仰と、すべての聖徒に対するあなたの愛について聞いている」(5)とおだてています。そして、「キリストのためになされているすべての良い行いを知ることによって」(6)と、パウロの勧める「良い行い」を実践するように暗に促します。実際、ピレモンは、「あなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。」(7)とあるように、多くの信仰者を支え、パウロに支援をしていました。

本題に入る前に「命じるのではない、お願いです。」(8.9)、自分は囚人だけれども犯罪の故にではなく、信仰の故に「キリスト・イエスの囚人となっている私パウロが」(9)と自己犠牲をしている自分を見習って、と頼み込むのです。

それはピレモンの家から金銭を持って逃げた奴隷のオネシモの処遇についてです。逃亡奴隷は捕まったら殺されたり、額に焼き印を入れられたりします。ましてや主人の家から盗みをしてローマに逃げ込んだのですから、オネシモの不安や恐れは大きかったと思われます。

オネシモという名前は「役に立つ者」という意味ですが、ピレモンのところにいた時はまだ若く乱暴で「役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。」(11)。オネシモは、奴隷であることを嫌い、自由になることを求めて大都市ローマに逃げ込んだのですが、隠れ潜んで暮らす中で苦しみ抜き、クリスチャンの主人の下で暮らすことが大変な自由と喜びのものであるかに気が付きました。まるでルカ15章の放蕩息子の例えのようなものです。

『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。」

オネシモは、囚人となっているローマ市民パウロの世話の為に雇われたと思われます。オネシモは、自分が世話をする人が、大使徒パウロであることを知り、懺悔の気持ちもあって献身的に仕えます。パウロは、オネシモに福音を伝え、「獄中で生んだ我が子」(10)とします。

パウロは福音の真理を教え、従順な信者に育てます。ところが、そんなパウロを訪問するためにコロサイから伝道者エパフラスが来て捕まり、囚人となってオネシモに気が付きます。逃亡奴隷は正体がばれたら、捕まり、罰せられます。そのままにしておくわけにはいきません。

 パウロは弟子のテキコを同伴させてオネシモをピレモンのところに返します。オネシモの生殺与奪の権はピレモンにあるからです。オネシモは、自分の罪と立ち場を理解し、死を覚悟して裁きを受けに主人のところに帰るわけです。パウロは、テキコが「あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモと一緒に行きます。このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう。」(コロサイ4・9)と書いて、教会の信者にもオネシモと合わせ、執り成しをしてくれるように根回しをするのです。

 パウロの弟子たちに対する指導は、「あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです。」(14)というもので、私たちの教会の理念もこれに沿ったものです。

 奴隷は、自発的には行動しません。指導され、怒られなければ動きません。オネシモは、自ら罰を覚悟して帰ることで、奴隷から自由人になりました。人の思惑を配慮し、目立つ行動をせず、だからこそ「良い行い」ができず、「役に立つ者」となれない人は、自発的に生きることを努力して身につけなければなりません。自由とは、決断によってのみ得られるものなのです。

 オネシモも、逃亡してきた主人ピレモンと逃亡した先の主人パウロが、「愛する兄弟」(16)であるとは思いも寄らぬことでした。そして、この手紙が残っているということは、間違いなくオネシモも「愛する兄弟」の中に入っているということです。記録によれば、50年後のエペソの監督の名前がオネシモというそうです。本人かどうかは証明できないようですが、神の摂理の中にあることだけは間違いありません。

ピレモンへの手紙9~21節

  • 1:9 むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、
  • 1:10 獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。
  • 1:11 彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。
  • 1:12 そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。
  • 1:13 私は、彼を私のところにとどめておき、福音のために獄中にいる間、あなたに代わって私のために仕えてもらいたいとも考えましたが、
  • 1:14 あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです。
  • 1:15 彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。
  • 1:16 もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟としてです。特に私にとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、肉においても主にあっても、そうではありませんか。
  • 1:17 ですから、もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。
  • 1:18 もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてください。
  • 1:19 この手紙は私パウロの自筆です。私がそれを支払います──あなたが今のようになれたのもまた、私によるのですが、そのことについては何も言いません。──
  • 1:20 そうです。兄弟よ。私は、主にあって、あなたから益を受けたいのです。私の心をキリストにあって、元気づけてください。
  • 1:21 私はあなたの従順を確信して、あなたにこの手紙を書きました。私の言う以上のことをしてくださるあなたであると、知っているからです。