「贖いを待ち望んで神に仕える。」ルカ2章36~38節

妻の腰痛は脊柱管狭窄症で、他は14ミリあるのに一番下が7ミリしかありませんでした。寒さで神経に響いたのでしょう。丁度テレビでやっていた腰痛体操をしたら、本当に軽くなりました。骨粗鬆症もあり、骨密度が72%でしたが、年齢的にはそんなもの、と言われ、衰えるのが当然とされるのかと思いました。

妻の病気で、今回は「無理をなさらないで」という言葉は教会員にはありませんでした。私たち夫婦の人生から「無理」を取り除いたら、神の助けも恵みも感謝もなかったでしょう。良く働く妻で、私は「拾い物だね。」と言ったりします。結婚の時は、体調が悪く、ウツも激しかったので、私が家事をしたことを思うと、まさかこんなに元気になるとも思わず、働き者だとも予想しませんでした。

私の特徴は分析的なことで、健全・健康でないなら原因を探し出さなければならない、と考えます。機能性低血糖症は、私たちがその危険性を追求し啓発した病気ですが、現在は広く認知されています。ピロリ菌の除菌を始めた1990年代、医学部病院でも、ピロリ菌は誰にもいるから、と批判されたものですが、今は胃がんの原因とされています。

日本人は、異常やみっともない、ことを恥じて、普通や平均的であることを是とします。そして協調しないことに対して攻撃的になります。聖書を基準とするべきクリスチャンでも、罪に対してあまり厳密ではありません。行動についても、目立たないようにする、ということが大事にされています。

ユダヤ人について調べています。安息日を厳密に守り、一切仕事をせず、聖められた食しか取らず、互いに助け合い、権力に迎合せず、強欲にならないことを心掛ける、ことがユダヤ教であり、それを守る者だけがユダヤ人です。世界中の富を握っていることは、罪を犯さず、欲に溺れず、安息日を守るために節制をしている結果です。また、引退はなく、生きている限り神に与えられた仕事を果たすとあり、クリスチャンよりもはるかに聖書的であり、現実よりも戒律を重視する信仰者です。安息日には、シナゴーグで過ごし、モーセ5書を毎年朗読して終え、その他の生活の指導も受け、世の習慣に惑わされない為に、独立した仕事を求めるとありました。

国際弁護士の石角完爾氏は、厳しい試験を経てユダヤ教に改宗し、「ユダヤ人の経済的成功の原因として戒律を守ることによる不自由さが生む。」と指摘し、「生活的に不自由でなければ精神は自由にならない。」「貧弱な精神からはイノベーションは生まれない。」と言います。

「無理をしない。」のは、信念がなく奴隷だからです。自分の信念で生きるならば、努力をするのは当然であり、努力には無理が付き物です。私が信念としている聖句は、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(マタイ22・37)です。

 この女預言者アンナは、7年の結婚生活の後、おそらく23,4歳の頃から84歳になるまで、「宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。」(37)。ユダヤ教では、それは尊い生き方であり、周囲の人は彼女を経済的にも生活でも支えることを使命としていたと思われます。

現代日本人の意識では、宗教者として生きることは異常であり、人の世話になることを恥とするでしょう。信仰を教養のように考え、献金を会費のように考える人が多いようです。献金を滞る人がいますが、そういう時の支出は誰が立て替えると考えているのでしょうか。おそらく、牧師が立て替えて当然と考えているのでしょうが、教会を支えるという意識も、神の前に恥ずかしいとも考えていないのでしょう。私自身は、この36年間、生活費を削ってそれを果たしてきましたが、だからこそ、神は私の経済を祝してくださいました。

自己中心な甘えの信仰で、神の前に立てるかは難しいでしょう。聖書も読まず、祈りもせず、献金もせず、礼拝も休み勝ちで、永遠の命が与えられるというほど、信仰というものは聖なる神の前に誤魔化せるものではありません。時間も富も能力も自分の為に用い、家族の為に用い、その余りの余りを神に費やすのでは、罪の奴隷です。

 敬虔なユダヤ人がユダヤ人であるが故にナチスに600万人も殺されました。罪びとには義人は大嫌いなのです。彼らはそれを乗り越えて約束の地イスラエルを獲得しました。アンナは60年間、宮に住み、断食を繰り返しながら、「エルサレムの贖われるのを待ち望んで」祈り、神に仕えていたのです。一人の赤子が救い主とわかるのは、その献身の結果です。アンナの喜び、感動は如何ほどのことでしょう。

 終末時計は2分前を示しています。災害に備えて、と呼び掛けても実際に用意している人は少ないようです。まして、終末に備えて、と呼び掛けても、油を備えて(聖霊に満たされて)花婿(再臨のキリスト)を待ち望む人は非常に少ないでしょう。私の人生は、この人々が増えることに費やしてきました。しかし、現状では福音を悟っていないユダヤ人にとても律法を守ることでは、信仰を守ることでは、かなわないようなきがします。断食と祈りを増やそうと悔い改めます。

ルカ2章36~38節

  • 2:36 また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、
  • 2:37 その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。
  • 2:38 ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。