「主は慈しみ深く、恵みはとこしえまで」エズラ記3章7~13節

紀元前742年頃、名君ウジヤ王が死んだ年に、イザヤは神殿に満ちている神の幻を見て「誰を遣わそう。」という主の声に応じ、「ここに私がおります。私を遣わしてください。」(イザヤ6・8)と預言者に任命されました。この後、北イスラエルへのアッシリヤの征服と捕囚が始まり、紀元前721年には殆どのイスラエル人が捕囚され国は滅びました(Ⅱ列王記17・6)。

 イザヤは紀元前690年頃に死んでいますが、イザヤ書44・28~45・1に「主は、油注がれた者クロス」と紀元前539年にバビロニア帝国を征服したペルシャの王クロスを名指しで預言しています。それ以前、紀元前586年頃、エルサレムはバビロニア帝国のネブカドネザルによって占領されて南ユダ王国も滅び、ユダ人もバビロンに捕囚されています(Ⅱ列王記25章)。

 ペルシャの王クロスには、バビロニア帝国から引き続いてダニエルが宰相を務めていました。ダニエルは、「ユダからの捕虜のひとり、あのダニエルか。あなたの内には神の霊が宿り、また、あなたのうちに、光と理解力と、優れた知恵のあることがわかった、と聞いている。」(ダニエル5・13.14)とバビロニア帝国のベルシャツァル王に言わせています。ところが、ダニエルは、その父ネブカデネザル王が高慢になったが故に狂人となり、「ついに、いと高き神が人間の国を支配し、みこころに適う者をその上にお立てになることを知るようになりました。その子であるベルシャツァル。あなたはこれらのことをすべて知っていながら、心を低くしませんでした。」(ダニエル5・21.22)と王を戒めています。そして、その夜、一夜にしてバビロニア帝国は滅び、メド・ペルシャ帝国がバビロンを支配し、そのままダニエルは宰相に留まったのでした。

 「ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた【主】のことばを実現するために、【主】はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、【主】は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。 1:3 あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、【主】の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。残る者はみな、その者を援助するようにせよ。どこに寄留しているにしても、その所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んでささげるささげ物のほか、銀、金、財貨、家畜をもって援助せよ。』」(エズラ1・1-3)

 エレミヤも捕囚前後の紀元前627年頃から583年頃まで活躍した預言者ですが、バビロンからの解放を預言したのです(エレミヤ25・11.12)。

クロス王は、170年以上前の聖書に自分の名前と果たすべき使命が記されているのに感動して、このユダヤ人解放令とエルサレム再建命令を出すのです。但し、これはダビデ王の子孫と南ユダ王国に関してであって、信仰を捨てた北イスラエル王国は、世界中に離散したままになっているのです。その一部が中国に辿り着いたとか、アフリカに移住したとか、日本にも来たなどという伝説はあります。

 このようにして、奴隷から解放されただけでなく、十分な資金と援助をされてエルサレム再建を始めたのです。老人たちは、約50年前に破壊された神殿の栄華を知っているので、その廃墟とこれまでの苦労を思い「大声をあげて泣いた。」他の人々は、新しく始める祝福の歩みを思い、「喜びにあふれて声を張り上げた。」(12)のです。

 エレミヤの預言には、「70年」とありますが、それは第一回捕囚の紀元前605年から解放令の出た536年までですが、その意味合いは王政によって税金を払うためにイスラエルの土地に7年に1年の安息年が無くなったことの強制安息であると、Ⅱ歴代誌36・21に書いてあります。それは、律法的には安息日を守らず、礼拝を守らない人には、強制安息の病気や動けなくなる日々があるという意味にも取れます。また、什一献金をきちんとしていない人に対する罰則的な損失があるとも受け取れます。恵みと福音の時代に、そのようなことは気にすることはないという教えもあります。

 私自身は、そういうことは自分で判断するしかないと考えております。ただ、信仰というものは、自分勝手に思惑をもって生きる人には、神の祝福は注がれないのです。「慈しみ深く恵み深い」神を体験するのは、信仰によって生き、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、苦労を逃れて安易な人生を生きるということをしなかった人であると思います。

 楽な信仰生活を願い、子育てを重視して教会を離れた人が、安易なネット情報をもとにカルトの教会に行っていることがわかりました。いろいろな理屈を付けて教会を離れた人々の為に執り成しの祈りは尽くしていますが、うまくいっているという情報を受けたことがありません。

 今なお、多くの願いがあり、祈りがあります。魂の救いに導くために、嘆きと苦しみの日々が続きます。しかしなお、「慈しみと恵み」は、常に頂いており、主にある信仰を喜んでおります。打算の信仰には、喜びはありません。神は全てをご存知です。

エズラ記3章7~13節

  • 3:7 彼らは石切り工や木工には金を与え、シドンとツロの人々には食べ物や飲み物や油を与えた。それはペルシヤの王クロスが与えた許可によって、レバノンから海路、ヤフォに杉材を運ぶためであった。
  • 3:8 彼らがエルサレムにある神の宮のところに着いた翌年の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアと、その他の兄弟たちの祭司とレビ人たち、および捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々は、【主】の宮の工事を指揮するために二十歳以上のレビ人を立てて工事を始めた。
  • 3:9 こうして、ユダヤ人ヨシュアと、その子、その兄弟たち、カデミエルと、その子たちは、一致して立ち、神の宮の工事をする者を指揮した。レビ人ヘナダデの一族と、その子、その兄弟たちもそうした。
  • 3:10 建築師たちが【主】の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって【主】を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た。
  • 3:11 そして、彼らは【主】を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い合った。こうして、【主】の宮の礎が据えられたので、民はみな、【主】を賛美して大声で喜び叫んだ。
  • 3:12 しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。
  • 3:13 そのため、だれも喜びの叫び声と民の泣き声とを区別することができなかった。民が大声をあげて喜び叫んだので、その声は遠い所まで聞こえた。