「神の国の中に生きる。」ルカ17章20~33節

終末には、「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉と地震が起こります。」(マタイ24・7)とあるように、生活レベルや文化水準が向上しても、争いは激しくなる一方です。豊かになれば争いはなくなると考えられていましたが、平均レベルは上がっても、富の格差は広がるばかりです。自給自足経済の崩壊と情報の収集により、落ち着いた暮らしは難しくなり、人々は、政府や大企業の援助なしには暮らせなくなり、不満が蔓延するようになりました。

 モバイル端末を持つ人は50億人を超え、欧米では80%くらいの人々が保有しています。スマホは、連絡・情報・決済だけでなく、娯楽にもなり、誘惑や犯罪の元にもなっています。偽情報、作為的な情報統制により、人々を操ることも容易になってくるわけです。

 自給自足経済の崩壊ということは、物を購入し、更に輸入輸出がなければ生きていけない人々が多くなり、会社や産業の崩壊によって直ちに生活困難になるということです。

 飢饉は、温暖化により激しくなる一方であり、砂漠化が進み、食料生産が間に合わなくなるからです。過去の飢饉とは全く別物であり、化学合成で食料を生産するなどということは、商品経済の観点であり、貧者には関係ないものなのです。

国家間、民族間、貧富の差、条件の差などによる争いは、間違いなく大きくなります。つまり、社会は崩壊の一途を辿っているということです。

 「そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」(マタイ24・10.11)。家族が核家族化し、さらに団らんもなくなって、人が成長する間に、愛され愛するという経験が無くなっていきます。最近は、情報ばかりが錯綜し、実際に人と接し、交流するということができなくなっている人が多くなっています。ファッションやマナーを身に着けても、赦し合い、助け合い、話し合うという単純な人としての交流ができなくなるのです。だから、簡単に裏切り、憎むということが起こるのです。

 「にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。」(マタイ24・11.)。人との交流がなく、体験もアドバイスもなくなると、理想を追い、簡単に騙されるようになります。ある国の王女が霊媒師と恋人関係になったそうです。宗教も、商売も、学校も、経験の少ない人々を簡単に騙せるようになるのです。

今日の聖句は、それらがノアやロトの時と似ていると言います。ノアの時も、ロトの時も、「人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていた」のです。つまり、普通に生きていて、神のこと、誠実に生きること、神の国に備えることなどは、無視していたのです。

「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、」(へブル11・7)とありますから、私たちも聖書を読んで警告を受けたら、箱舟である教会を作り上げることに専念することが必要です。ロトは、神の恵みの故にソドムの裁きから救われました。しかし、ロトの妻は、恥ずべき生活を忘れがたく振り返り、塩の柱となりました。ロト自身も、聖書的な生き方を身に着けていないために、恥ずべき人生を歩むことになります。

 私たちは、信仰者として日々の生活をチェックしなければなりません。

 例えば、夫婦で言い争いがあるとしたら、祈りも御言葉も聖霊の導きも求めていない証拠です。赦せない人がいても同様です。思い煩いや苦しみは、残念ながら、神にある歩みをしていないからです。

 責めるわけではありません。人間が罪深いということは、元来人間は、そういうものであるということです。但し、それを当然なものだと思ったら、神の国は、あなたの中にはないのです。罪深く、自己中心で、悩みも苦しみも多い、この世からの助けを求めるならば、あなたは神の国に入るのです。

 中途半端ではいけません。その国を出て、他の国に入るには、パスポートが必要です。最低限、洗礼を受けていない人は、神の国に入ることはできません。パスポートを持ったら、実際に国を出る行動を起こし、手続きを踏んで出国し、飛行機などに乗らなければなりません。この世を出ることを望まなくて、神の国に入ることはできないのです。

 人・組織・国に期待して不平や不満を漏らすのは、この世に固執しているからです。クリスチャンならば、この世での成功や栄華など、神の国に生きる為ならば、金繰り捨てる意識が無ければなりません。この世での幸せさえも、神の国よりも求めると罠に陥ります。それが欲望というものです。

 私自身は、多くの面でうまくいっていると思われるでしょう。ただ、それは年月を経た神のしもべとしての自己訓練と、神の栄光の為にという意識の中での積み重ねであることを知っていただきたいのです。いつでも、神に従い、殉教することも、富を献げることも覚悟しております。

ルカ17章20~33節

  • 17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
  • 17:21 『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
  • 17:25 しかし、人の子はまず、多くの苦しみを受け、この時代に捨てられなければなりません。
  • 17:26 人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。
  • 17:27 ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。
  • 17:28 また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、
  • 17:29 ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。
  • 17:30 人の子の現れる日にも、全くそのとおりです。
  • 17:31 その日には、屋上にいる者は家に家財があっても、取り出しに降りてはいけません。同じように、畑にいる者も家に帰ってはいけません。
  • 17:32 ロトの妻を思い出しなさい。
  • 17:33 自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失う者はいのちを保ちます。