「神の配慮と配材」マタイ2章5~15節

イエス・キリストの人としての誕生は、ヘロデに象徴される悪との戦いで始まります。しかし、私たちは、サタンを代表とする悪の勢力がいくら強くても、大能の神の前には何らその御計画に変わりはないということを知っておく必要があります。

東方の博士たちは、その悪の権化であるヘロデの下にわざわざ出向いて「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」の誕生を伝えるのです。ローマ帝国の支配下で自治を任され、「ヘロデ大王」と呼ばれる権力を握っているヘロデはエドム人なので、ユダヤ人は自分達の王としては認めていません。家族は血肉の権力争いをして不安定であり、この誕生告知は、ヘロデにとっては大変な脅威でした。

ヘロデ大王の死はローマの公式記録で紀元前4年であり、博士たちが見た星は木星と土星の大接近が起こった紀元前7年かもしれません。ちなみに2020年12月21日に0.1度まで接近するそうです。なお、キリストのシンボルである魚座での大接近は、紀元前7年と紀元967年の2回しか起こっていないそうです。

博士たちが携えてきた黄金は王に献げるものであり、乳香は神に献げる香であり、没薬は死者の防腐剤として塗られる薬でした。とても高価なもので、それを長い旅をしてわざわざ献げるということは、彼らの真摯な信仰を現わすものです。巡礼などの長期間の苦労の旅というものは、やはり信仰を研ぎ澄ますものであり、合理性や効率というものは、人格を誠実にすることには向かないと思います。私たちも跪いて神の前に長時間祈ることや、犠牲を払うことを軽んじてはいけません。

神は、その僕に対して災いになることははっきりと警告します。博士たちには、「ヘロデの所には戻るなと戒め」、ヨセフには、「エジプトに逃げなさい。」と言います。ヨセフは、すぐに夜のうちにエジプトに逃げます。彼らの長期間の旅費に宝物が使われたのです。ヘロデが死ぬまでの3年間をエジプトに過ごしたのでしょうが、それに十分な資金を博士たちはわざわざ提供しに旅をしてきたのです。

 誕生8日後の割礼の時には、「シメオンは幼子を腕に抱き、神を褒めたたえていった。…私の目があなたの救いを見た」(ルカ2・28.30)。そして、マリヤに対して預言します。「この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また立ち上がるために定められ、また反対を受けるしるしとして定められています。剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは、多くの人の心の思いが現れる為です。」(ルカ2・34.35)。

 クリスマスは、今や多くの人によって祝われていますが、実際にキリストの誕生の意味と意義を知る人は少ないのです。人間キリストが、神の子であり、救い主であるということが、人々の心を逆なでます。それを信じ、犠牲を払って従う人には、救い主の誕生です。単なる預言者、偉大な人の誕生であるならば、クリスマスは楽しい祭りです。

 救われていな
い人にとって、教会は楽しく明るく、良い人の集まりでなければなりません。しかし、聖書の教えの厳しさが、キリストは罪を認めた人だけの為に救い主となるという限定的な救いが、偽善者の心を逆なでするのです。「神はあなたを救わない。」という迫りが、救われていない人々には腹立たしく、教会や牧師批判になり、楽しい、誰でも受け入れる教会へと移っていくのです。私たちは、教会を離れる人々を、そのままで戻るように願ってはならないのです。明確な救いを経験するように祈り、語り、諭し、伝えるのです。

 母マリヤにとって、神を信じない人々の攻撃や批判は、「心さえも刺し貫くでしょう。それは、多くの人の心の思いが現れる為です。」という厳しいものであり、やがてそれは十字架の死へと息子を追いやるものでした。

ヨセフは「イスラエルの地に行きなさい。」と主の使いが語ったので帰るのですが、ヘロデの子がユダヤを治めているのを恐れると、遠い田舎のガリラヤ地方に住むように「夢で戒めを受け」ます。そして、ナザレの地で大工として働くのです。そして、やっと自分の子が生まれ、4人の息子と二人の娘が与えられます。この夫婦にとって、イエス様は全くわからない存在だったことでしょう。ヨセフの人生は、妻子を守るためのものでした。ヨセフは、わが子イエスが自分の実の子ではないことをマリヤと共に知る人間でした。彼は、理不尽とは考えないで、神に仕え、夫として父として、誠実に生きたのです。

真実な信仰者というものは、自分の都合や損得などは考えないものです。当然、正当性などを唱えて、攻撃などはしません。神の導きがあれば、それに従い。近くに苦しんでいる者がいれば、それを助け。自分の時間に空きがあれば、人の為に労苦する。金銭に余裕を感じれば、困っている人に与える。

 妻が癌から癒され、今度は骨粗しょう症で腰痛となり動けなくなる。愚かと言えば愚かで、よく働くけれど、自己管理と休養が十分ではない。そのようにして歳を重ね、心優しくなり、それでこそ夫婦仲良く、愚痴をこぼさないで日々を喜べるものです。我妻という神の配材に感謝し、その愚かさに恵みを感じるものです。

マタイ2章5~15節

  • 2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
  • 2:6 『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」
  • 2:7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
  • 2:8 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
  • 2:9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
  • 2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
  • 2:11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
  • 2:12 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。
  • 2:13 彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
  • 2:14 そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、
  • 2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」と言われた事が成就するためであった。