「ユダの召しは。」 ヨハネ13章2,21~30節
「神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め」(ロマ8・30)とあるように、「召し」がなければ、人は救われません。「主の御名を呼び求める者はみな救われる。」(ロマ10・13)とありますが、「宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。」(同14)と伝道の必要性を唱えられます。「しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。」(同16)。
科学が発展し、進化論の教えも浸透し、遺物や歴史が証明されて、20世紀初頭には、キリスト教は廃れると言われていました。そのように考える人もいれば、歴史や遺物と信仰や救いは別のものと捉える人もいます。
パウロがアテネで、人を「地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。」(使徒17・26.27)と叫んでいますが、確かに神を信じる人は、どのような状況や境遇でも神を信じるし、信じない人は信じないものです。テレビや資料で、進化論や地球の歴史などを見る時、このようにして神を信じる人が少なくなっていくのだと想いながら、神の選別の厳しさを覚えます。
私たちは、信仰者になるべく神が「定めた人」であり、この教えは「滅びる者たちにとっては愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」(Ⅰコリント1・18)。
先週は、牧師としての召しや選びがあったとしても、十字架を負わずに高慢な歩みをしていたら、神の祝福から外れてしまうことをお話ししました。信仰は、神にあって人々に仕える者になることが大事で、そのようにしてこそ、神の国の褒美があるのです。地上では、報いを求めないほうが良いのです。
さて、それではイエス様を裏切ったユダは、どうしてそうなってしまったのでしょうか。マタイ10章4節には、12使徒として「イスカリオテのユダ」の名があります。ユダに関しては、「ユダが金入れを持っていた」(ヨハネ13・29)とあり、弟子たちの金銭係だったと思われます。
ユダは、マリヤが香油をイエス様に注ぐのを見て、不平を言います。「『どうして、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。』彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。」(ヨハネ12・5.6)。
金銭の扱いに関しては、取税人であったマタイのほうが熟練していたと思われますが、マタイはそれよりも、福音書を書くような理論的な信仰者です。私も財務会計が専門でしたが、金銭の計算を真剣にすると、この世に魂が奪われるような気がするので好きではありません。収支を気にする人は気を付けてください。イエス様は、「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。」(マタイ6・19)、「だれも二人の主人に仕えることはできません。・・・あなたがたは神と富とに仕えることはできません。」(同24)。と諭しています。
過ぎ越しの祭りの前、イエス様がご自分の最後を語る「夕食の間のこと、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを入れていた。」(ヨハネ13・2)。イエス様は、心を痛めながら「あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ります。」(同13・21)と預言されます。ユダは、使徒として選ばれながら、富を求め、悪魔のとりこになったのでした。そして、イエス様を陥れようと策を練り、銀貨30枚で(マタイ27・3)でイエス様を逮捕させたのです。「イエスを売ったユダはイエスが死刑に定められたのを知って後悔し」(マタイ27・3)とあるので、悪魔が目的を達成した後、ユダから離れたので正気に戻ったことがわかります。
現代において、イエス様の言われたように、悪魔は富や金銭によって私たちを騙し、信仰から離れさせようとし、お金を惜しんで人生や健康を損なわせています。神よりも、経済を優先しているのです。
「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。しかし、あなたがたのうちの一人は悪魔です。」(ヨハネ6・70)とあり、父なる神がユダを使徒として選ばれたのですが、「信じない者たちがだれか、ご自分を裏切る者がだれか、イエスは初めから知っておられたのである。」(同64)。12弟子として召し出されながら、その召しを当初から軽んじ、お金をくすねていた俗悪なユダは首を吊って死んでしまいました。
覚えておくべきは、「弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げてしまった。」(マタイ26・56)というように、人の罪深さ、弱さは、どうしようもないものです。しかし、自殺しなかった弟子たちは、イエス様によって使徒として成長していくのです。神は、私たちを救われる者として召されましたが、人生は私たちの責任です。罪に負けてはいけません。
ヨハネの福音書13章2,21~30節
- 13:2 夕食の間のこと、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを入れていた。
- 13:21 イエスは、これらのことを話されたとき、心が騒いだ。そして証しされた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ります。」
- 13:22 弟子たちは、だれのことを言われたのか分からず当惑し、互いに顔を見合わせていた。
- 13:23 弟子の一人がイエスの胸のところで横になっていた。イエスが愛しておられた弟子である。
- 13:24 そこで、シモン・ペテロは彼に、だれのことを言われたのか尋ねるように合図した。
- 13:25 その弟子はイエスの胸元に寄りかかったまま、イエスに言った。「主よ、それはだれのことですか。」
- 13:26 イエスは答えられた。「わたしがパン切れを浸して与える者が、その人です。」それからイエスはパン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダに与えられた。
- 13:27 ユダがパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼に入った。すると、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、すぐしなさい。」
- 13:28 席に着いていた者で、なぜイエスがユダにそう言われたのか、分かった者はだれもいなかった。
- 13:29 ある者たちは、ユダが金入れを持っていたので、「祭りのために必要な物を買いなさい」とか、貧しい人々に何か施しをするようにとか、イエスが言われたのだと思っていた。
- 13:30 ユダはパン切れを受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。
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