「死の覚悟をしていた。」 使徒7章52~60節
人は簡単に死にますが、殆どの人は死ぬまで自分が死ぬとは思っておらず、また、その備えをしていません。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(へブル9・27)ことを用心せず、死後の裁きを考えずに不遜な生き方をしているのも、サタンの惑わしの影響でしょう。
仲良く暮らしていた夫婦が、夫の具合が悪くなると世話をせず同居を拒否してしまいました。几帳面さと潔癖性がありましたが、認知症の初期症状かと思いました。しかし、それを断固として言う様子に、私は神の守りと祝福がなくなることを懸念しました。人の世は、神の御手によって動かされていますが、神は、その人の動向によって対応を変えられます。
「私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」(エペソ2・3)。ここから解放されるには、自分勝手という罪の源に注意し、神中心の十字架を負う人生を心掛けなければなりません。そうしないと霊的な目が開かれず、惑わしの中で生き方を誤り、死に至るのです。
また、死後の裁きについて軽く考えている人がクリスチャンでさえ多いことに驚きます。ルカ16章には、この世で贅沢に暮らしていた金持ちが黄泉(ヨミ)で苦しんでいました。彼は、「私には兄弟が五人いますが、彼らまでこんな苦しい場所に来ることがないように、彼らに警告してください。」(28)と、求めます。しかし、「モーセと預言者たちに耳を傾けないのなら、たとえ、だれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。」(31)と拒まれます。
クリスチャンでさえ、祈らず、聖書を読まず、真剣に「死後の裁き」を考えずに生きていることは、恐ろしいことです。「狭い門から入るように努めなさい。あなたがたに言いますが、多くの人が、入ろうとしても入れなくなるからです。家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってから、あなたがたが外に立って戸をたたき始め、『ご主人様、開けてください』と言っても、主人は、『おまえたちがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。」(ルカ13・24-25)。
私は慎重に人生計画を練る人間です。クリスチャンになったら、すぐにいかに生きるべきかを考え、組織におもねらなければならない(物事の処置や判断、責任などをすべて相手に任せること)会社員や公務員はできないと判断しました。大学教員や公認会計士も考えましたが、やはり同様なので諦め、挙句の果てに牧師になりました。
会社経営も2年先までの資金計画、5年先までの経営計画は立てます。そうしなければ、社会で成功はできません。融資の際、銀行の担当者から3時間かけて質問を受けても即座に答えました。現在の会堂建設に関する資金も10年以上掛けて用意してきました。
神の国に入る準備も、生涯掛けてしております。神の前に恥じない行動と判断を続けてきました。子育ても、自分の感情に左右されないように、いつも祈りながら厳しく育てました。子どもに好かれる平和な家庭というよりも、神に仕える力を持った強く優しい人に成長するように努めてきました。子どもの反抗や失敗、未熟さなどは成長過程に必須なものだと捉えました。全てが、神の仕える者としてふさわしいかどうかを示すものだと自己吟味してきました。
「ステパノは恵みと力に道、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。」(6・8)。この世の人々は、神に忠実に従う人がいると、自分の不信仰と不摂生が比較されているので、貶めようとします。私のような者でさえ、そうでしたから、ステパノに対する攻撃はすさまじく、最高法院に引き立てられ、裁判にかけられました。しかし、「最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。」(6・15)。
ステパノの弁明は見事なものでした。聖書をしっかりと理解し覚えており、「うなじを堅くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。」(7・51)。「あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかったのです。」(53)と責めます。糾弾するはずのステパノから、聖書に基づいた筋の通った抗議を受けます。さらに、「聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、『見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます』と言った。」(55.56)。聖書に基づいて真摯に生きている人に、ごまかしは通じません。彼らは、「大声で叫びながら、耳を覆い、一斉にステパノに向かって殺到した。」(57)。権力に付き、多くの人々と自分たちの正当性を確認してきた彼らですが、まはや勝ち目はありません。暴力で打ち負かそうとして石打で殺します。ステパノは覚悟していたので、「主イエスよ、私の霊をお受けください。」(59)と語り掛けるだけです。
信仰に真摯でなければ神の国の保証はありません。多くの信仰者が、適当に手を抜いて生きる同信の友を見て安心しています。しかし、神に通じないことは明らかです。私は、決して地獄には行きたくありません。
使徒7章52~60節
- 7:52 あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。
- 7:53 あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかったのです。」
- 7:54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしていた。
- 7:55 しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、
- 7:56 「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った。
- 7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、一斉にステパノに向かって殺到した。
- 7:58 そして彼を町の外に追い出して、石を投げつけた。証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いた。
- 7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊をお受けください。」
- 7:60 そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。
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