主の平安を示します

                     男性 44歳

最初に教会に来たのは夏が終わりそろそろ秋めいてきた頃であったと思います。
私は半年ほど前に離婚しており、いろいろな意味で失意の中に居ました。お酒や刹那的な関係に溺れ、次第に生きる意味を失い自分には生きる価値がないのではないかと考えるようになっていました。
ただキリスト教には以前より関心がありましたので、全てに絶望する前に教会に行こうと思い立ち、ネット検索でたまたま見つけた千葉福音キリスト教会の扉を叩きました。
最初は神様は本当にいるのだろうかと半信半疑でした。当時の私は汎神論的な考え方を持っており宇宙そのものが神であり、一切万物が神であるという風に考えておりました。少なくとも完全な無神論者ではありませんでしたが、その様な大きな神が自分のような小さな者に目を止めるはずもないと思っていました。
ところが教会に通い、礼拝、聖書研修会に参加するうち神は無限で全知全能だが全ての人間に目を止められていることを知るようになりました。
「神は愛である」と言われますが、それまでの自分にとっては愛とは絶えず見返りを求める愛、憎しみと表裏一体となった愛、ただ自分が満足するための愛でした。
しかし神の愛は全きもので、100%それ自体で成立するものです。今はその愛に全て身を委ね生きていきたいと考えています。
因みに2008年3月23日の復活祭の日に洗礼を受けました。

現代の日本社会を見ると神無き社会であることがよくわかります。
自殺者は年間3万人を超し、成人の10人に1人は鬱病等の精神疾患を抱えていると言われています。一見、物質的な豊かさは在るようですが多くの人は経済的な豊かさを得る為にあくせく働かざるを得ません。そして持てる者と持たざる者を生み出し、それを勝ち組、負け組という風に称しています。
人生の最終的な目標は何でしょう?もし死によって全てが終わるならなるべく沢山のお金を得て、より多くの快楽を求めることが幸せでしょう。
しかしながらもし死が全ての終わりで無いとしたら私達は何を求めるべきでしょう。クリスチャンには神という絶対的な基準があります。したがってルートを外れそうになった時も絶えず神という道標に従うことが出来ます。
神が無い世界を生きることは闇雲に切り立った尾根を進むことと同じです。ふとしたはずみで両側の谷底に滑落することでしょう。でも道標がある生き方が出来れば心には平安がもたらされ、周りの景色を眺めそれを美しいと感じるはずです。それが本来の自由であると私は信じています。



主よ
世界はあなたを待ち望んでいます
希望なく裏通りにたむろする人々
抑圧と搾取の中に生きる人々
高らかにラッパを鳴らし
主の栄光を示します

主よ
世界はあなたの手の中に佇むでしょう
闇の中で一筋の光さえも射さない夜
怖れと孤独が藻のように心に絡まる夜
かろやかに竪琴を弾き
主の愛を示します

主よ
世界はあなたが創られたものです
罪の中で失ったものをもう一度、
私たちに与えてください
御国の空に高らかにドラムを響かせ
主の平安を示します